通季王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[通季]

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通季[王]
 もと[源朝臣]通季
 
【稱號】
 「伯大夫」
 
【出自】
 天暦御後
 實系では三條院の玄孫。
 
敦輔王(三條院二世。敦貞親王の男子。敦平親王の子となる。實系では小一條院の孫)の男子。
『本朝皇胤紹運録』(少外記平田家旧蔵本)三条院の子 敦平親王の子 敦輔王の子
│天喜三可爲天暦御後王氏之由宣下云々
│従五下 大弼 正親正
源通季
 母治部卿藤經季女
       宗ー
『尊卑分脈』「長和 三條」三条院の子 小一条院の子 敦貞親王の子 敦輔王の子
 正親正
 彈正大弼
 従五下 ー宗
通季──
 母治部卿藤經季女
 天喜三年可為天暦
 御後王氏之由宣下
 
【母】
 藤原朝臣經季の女子。
『本朝皇胤紹運録』
『尊卑分脈』「長和 三條
 
【經歴】
康和四年(一一〇二)十二月一日までに叙爵される。
『中右記』康和四年十二月一日
通季(伯大夫)
おそらく天永三年(一一一二)に、天暦御後の王氏となる。
『本朝皇胤紹運録』
『尊卑分脈』「長和 三條
『本朝皇胤紹運録』、『尊卑分脈』によると、その年は天喜三年(一〇五五)であるが、これは通季の父 敦輔王が十二歳の時であるので、「天喜」は誤り。「天永三年(一一一二)」の誤りか。なお、この天永三年の前年は、敦輔王の卒去の翌年にあたる。
正親正に任じられる。
『本朝皇胤紹運録』
『尊卑分脈』「長和 三條
 
【子女】
 □
式季王
 □ 定資王
 
【子孫】
□ 通季 ─┬□
式季王 ──□ 兼式王 ──□ 式仲王 ───────────────┐
     └□ 定資王 ─┬□ 親行王    もと兼資王              │
            └□ 親能王                       │
┌───────────────────────────────────────┘
│      ┌〔高貞〕
│      │      ┌△──────□ 兼行王(兼俊王の孫)
│      │      ├□ 兼氏王
│      │      │      ┌□ 兼綱王
│      │      │      │      ┌□ 兼顯王
├□ 兼康王 ─┼□ 兼俊王 ─┴□ 兼重王 ─┼□ 兼持王 ─┼□ 兼輔王 ──□ 兼C王
│      │             │      └□ 兼尚王
│      │             ├〔長C〕
│      │             ├〔知重〕───〔知光〕
│      │             └□ 式俊王
│      │            ──□ 式重王
│      └〔橘知宣〕──
│       橘以実の子となる。

└□ 兼驩、 ─┬□ 兼時王 ──□ 兼親王 ─┬□ 兼邦王 ─┬□ 知兼王 ──────┐
       │             │      └□ 兼敦王       │
       │             └□ 兼彦王              │
       └△──────□ 時驩、                     │
                兼時王の子か。                 │
┌───────────────────────────────────────┘
├□ 兼英王 ──□ 兼雄王 ──□ 兼之王
├〔業光
└〔氏重
         【推定】──□ 兼氏王
         【推定】──□ 兼茂[王]

                【推定】──□ 兼夏王 ──□ 兼C王

                              【推定】──□ 兼盛王
 
【文獻等】
日本史史料研究会 監修、赤坂恒明 著『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流』東京、吉川弘文館、2020年1月


 
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公開日時: 2020.03.19.

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