兼雄王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[兼雄]

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兼雄王
 
【出自】
 
通季王[天暦御後]の十世孫。
 兼英王の男子。
脇坂本・前田本・内閣文庫本『尊卑分脈』「長和 三條」 兼英王の子
  豊後守
  治部少甫正五下
──兼雄王
 
【經歴】
從五位下に敍される。
從五位上に敍される。
治部少輔に任じられる。
『尊卑分脈』「長和 三條
永コ三年(一三八三)十月二十二日、後小松院の御禊行幸に參仕。時に從五位上。
内閣文庫所藏『永コ三年記』[古46-782]行列交名
從五位上兼雄王
應永八年(一四〇一)二月四日、祈年祭に參仕
『吉田家日次記』應永八年二月四日癸亥(『大日本史料』第七編之四 所引
祈年祭也。・・・・・ 王兼雄王、中臣權少副C貫、忌部權少副齋部親憲等參入之云々。・・・・・
應永九年(一四〇二)二月四日、祈年祭に參仕
『吉田家日次記』應永九年二月四日丁巳(『大日本史料』第七編之五 所引
祈年祭也。・・・・・ 王兼雄王、祭主息權大副大中臣C誠朝臣、齋部權少副親憲等參入了。・・・・・
治部少輔を免じられる。
應永十年(一四〇三)二月四日、祈年祭に參仕。時に前治部少輔。
『吉田家日次記』應永十年二月四日壬子(『大日本史料』第七編之六 所引
祈年祭也。・・・・・ 王前治部少輔兼雄王、中臣岩出權大副C貫(祭主C世卿位記也。抑此祭主當職已及十一ヶ年、四度祭不及一度之參勤、剩未~拜。莫言々々)、齋部權少副親憲。・・・・・
豐後守に任じられる。
『尊卑分脈』「長和 三條
正五位下に敍される。
『尊卑分脈』「長和 三條
 
【子女】
 □
兼之王
 
【備考】
應永八年(一四〇一)六月十一日に、月次祭使付行の臨時伊勢一社奉幣使の使王を勤仕した(または、月次祭に參仕した)親雄王とは、兼雄王である可能性があるか。


 
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更新日時: 2020.05.05.
公開日時: 2006.05.22.


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