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『 日本の親王 ・ 諸王 』 より

月 次 祭 ・ 祈 年 祭 參 仕
王 大 夫 表



凡 例 
朝廷における年中恒例の四つの祭祀のうち、
  二月四日の祈年祭としごひのまつり
および  
  六月十一日と十二月十一日の二度の月次祭つきなみのまつり
それぞれの~祇官行事に參仕した王大夫 ( 五位以上の諸王 ) を掲載する。
月次祭・祈年祭に關する諸記録において、王大夫に言及があるものも掲げた。
月次祭・祈年祭においては使王の派遣はなかったが、臨時伊勢奉幣と祈年祭・月次祭との期日が重なった場合、あたかも兩祭使においても使王があったかのように見え、史料においても、臨時奉幣の使王と、兩祭に參仕した王大夫とが、混同されていることがあるように思われる。これらについては、まだ十分な檢討を行うには至っていないが、順次、檢討の上、訂正を行いたい。


日 時 祭の
種別
王 名 官 位 備 考 典 據
寛仁二年(一〇一八)二月四日祈年祭「王不參」  『左經記』寛仁二年二月四日戊辰
治安二年(一〇二二)十二月十一日月次祭「無王」  『左經記』治安二年十二月十一日丙午
天永三年(一一一二)六月十一日月次祭□□王「王大夫」 『中右記』天永三年六月十一日
元永元年(一一一八)六月十一日月次祭□□王「王大夫」 『中右記』元永元年六月十一日
永治二年(一一四二)二月四日祈年祭 顯廣王正親正 『本朝世紀』康治元年【永治二年】二月四日戊辰
康治元年(一一四二)十二月十一日月次祭「王大夫不參」 『本朝世紀』康治元年十二月十一日己巳
久安二年(一一四六)六月十一日月次祭「王大夫不參」 『本朝世紀』久安二年六月十一日己酉
久安二年(一一四六)十二月十一日月次祭「王大夫不參」 『本朝世紀』久安二年十二月十一日丙午
久安三年(一一四七)二月四日祈年祭 顯廣王正親正 『本朝世紀』久安三年二月四日戊子【戌】
久安三年(一一四七)六月十一日月次祭「王大夫不參」 『本朝世紀』久安三年六月十一日癸卯
久安四年(一一四八)二月四日祈年祭 資長王散位 『本朝世紀』久安四年二月四日癸巳
久安五年(一一四九)二月四日祈年祭 則仲王「王大夫」 『本朝世紀』久安五年二月四日丁巳
久安五年(一一四九)六月十一日月次祭 則仲王「王大夫」 『本朝世紀』久安五年六月十一日辛酉
久安五年(一一四九)十二月十一日月次祭「王大夫不參」 『本朝世紀』久安五年十二月十一日己未
久安六年(一一五〇)十二月十一日月次祭 行兼王散位 『本朝世紀』久安六年十二月十一日癸丑
仁平二年(一一五二)二月四日祈年祭 顯廣王正親正 『本朝世紀』仁平二年二月四日己巳
仁平二年(一一五二)六月十一日月次祭 兼綱王散位 『本朝世紀』仁平二年六月十一日甲戌
仁平三年(一一五三)十二月十一日月次祭 行兼王散位 『本朝世紀』仁平三年十二月十一日乙丑
永萬元年(一一六五)十二月十一日月次祭 資遠[王]  『顯廣王記』永萬元年十二月十一日丙戌
治承四年(一一八〇)二月四日祈年祭 □□王「王大夫」 『玉葉』治承四年二月四日丙戌
仁治三年(一二四二)三月十二日祈年祭 □□王「王大夫」 『後中記』仁治三年三月十二日
貞和二年(一三四六)二月四日祈年祭 兼英王  『師守記』貞和二年二月四日癸丑
貞和三年(一三四七)二月四日祈年祭「使王稱觸穢不參」 『師守記』貞和三年二月四日丁丑
貞治三年(一三六四)三月九日祈年祭 兼英王正親正 『師守記』貞治三年三月九日癸酉
應永八年(一四〇一)二月四日祈年祭 兼雄王  『吉田家日次記』應永八年二月四日癸亥(『大日本史料』第七編之四 所引
應永八年(一四〇一)六月十一日月次祭 親雄王
兼雄王
 
月次祭使に付行した臨時伊勢奉幣使の使王か。
『康富記』應永八年六月十一日己巳
應永九年(一四〇二)二月四日祈年祭 兼雄王  『吉田家日次記』應永九年二月四日丁巳(『大日本史料』第七編之五 所引
應永十年(一四〇三)二月四日祈年祭 兼雄王前治部少輔 『吉田家日次記』應永十年二月四日壬子『大日本史料』第七編之六 所引
應永二十九年(一四二二)二月四日祈年祭 兼茂[王]  『康富記』應永廿九年二月四日壬辰
應永二十九年(一四二二)六月十一日月次祭 兼夏[王] 
月次祭使に付行した臨時伊勢奉幣使の使王か。
『康富記』應永廿九年六月十一日甲巳
應永二十九年(一四二二)十二月十一日月次祭 兼夏[王] 
月次祭使に付行した臨時伊勢奉幣使の使王か。
『康富記』應永廿九年十二月十一日甲子
嘉吉二年(一四四二)九月三十日月次祭 兼夏[王] 
月次祭使(六月延引分)に付行した臨時伊勢奉幣使の使王か。
『康富記』嘉吉二年九月卅日丁亥
『氏經~事記』嘉吉二年十月五日
文安四年(一四四七)四月二十一日祈年祭 兼夏[王] 
祈年祭使に付行した臨時伊勢奉幣使の使王か。
『康富記』文安四年四月廿一日壬午
文安四年(一四四七)十二月二十八日月次祭 兼夏[王] 
月次祭使に付行した臨時伊勢奉幣使の使王か。
『康富記』文安四年十二月廿八日丙戌
文安六年(一四四九)四月二日祈年祭 □□王  『康富記』文安六年四月二日壬子

  


日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


更新日時 : 2009.11.21.
公開日時 : 2007.03.18.


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