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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[則仲@]
 
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則仲王
 
【出自】
 貞觀御後
 系譜未詳。
保延元年(一一三五)六月二十五日に敍爵された、「村上御後」の兼綱王の父である則仲王と同一人か。
 
【經歴】
寛治八年(一〇九四)正月五日、從五位下に敍される(王氏爵)。
『中右記』寛治八年正月五日
裏書云
叙位聞書
 ・・・・・
 從五位下 則仲王(貞觀御後)・・・・・
    寛治八年正月五日
永久三年(一一一五)十二月二十五日、伊勢臨時奉幣の使王を勤仕(散位從五位下)。
『伊勢勅使部類記』「伊勢勅使雜例」中臣故障例
久安二年(一一四六)三月七日、藥師寺最勝會の勅使となる。
『本朝世紀』久安二年三月七日丙子「藥師寺最勝會勅使事」
藥師寺最勝會勅使則仲王下向。
久安五年(一一四九)正月八日、女王祿に正親正代として參仕。
『本朝世紀』久安五年正月八日辛卯
今日女王祿也。參議弁不參。則仲王爲正親正代。
久安五年(一一四九)二月四日、祈年祭に參仕
『本朝世紀』久安五年二月四日丁巳
祈年祭也。權大納言伊通卿、左大弁源俊雅朝臣等參行之。中少弁故障故也。可謂希代例歟。王大夫則仲王參仕。祭主~祇大副C親卿爲伊勢使。
久安五年(一一四九)六月十一日、月次祭に參仕
『本朝世紀』久安五年六月十一日辛酉
月次祭也。・・・・・ 王大夫則仲王參仕。以祭主C親卿爲伊勢使。
應保二年(一一六二)正月二十七日、内膳正に任じられる。
『山槐記』除目部類 應保二年正月廿七日甲午
内膳正則仲王
時に九十歳に近い高年齡であったと考えられる。


 
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公開日時: 2009.12.25.

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