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『 日本の親王 ・ 諸王 』 より
 
王 氏 爵 表
至元永三年

敍爵年月日 敍 位 王  氏 出 自 備 考 典 據
天慶九年(九四六)四月二十八日村上天皇即位敍位 兼盛王 仁和御後筑前守篤望三男のち平朝臣兼盛宮内廳書陵部藏『兼盛集』奧書(勘物)
『三十六人歌仙傳』前駿河守從五位上平朝臣兼盛
長保三年(一〇〇一)正月三十日正月敍位 奉助王 仁和御後  『權記』長保三年正月卅日
長保六年(一〇〇四)正月五日正月敍位 信重王 延喜御後三世无位 『權記』長保六年正月五日庚寅
『權記』長保六年正月六日辛卯
寛弘八年(一〇一一)十月十九日三條院即位敍位     
長和元年(一〇一二)十一月二十日三條院大嘗會敍位     
長和五年(一〇一六)二月七日後一條院即位敍位     
寛仁三年(一〇一九)正月五日正月敍位   
「攝政【藤原頼通】云。王氏爵事、中務卿親王【敦儀親王】(三條院親王)可行之由、藏人可仰遣歟。・・・・・」
『小右記』寛仁三年正月五日癸亥
寛仁四年(一〇二〇)正月五日正月敍位 資定王天暦御後二世敍從四位下
のち源朝臣師房
東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「雜々例」
萬壽二年(一〇二五)正月六日正月敍位 延信王安和御後[二世]「敍四位也」東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「雜々例」
萬壽二年(一〇二五)正月六日正月敍位 □□王寛平御後  東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「雜々例」
萬壽三年(一〇二五)正月日正月敍位 □□王寛平御後  東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「臨時」雜々例
東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「源」
萬壽四年(一〇二七)正月五日正月敍位   
「一夜、中務卿敦平親王叙二品。仍爲式部卿敦儀親王之上臈。今日遣仰事於敦平親王第、令進王氏爵名簿。敦儀親王已損面目。」
『小右記』萬壽四年正月五日丁未
萬壽五年(一〇二九)正月正月敍位 不敍王氏東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「王」
長元二年(一〇二九)正月六日正月敍位 良C王 孫王「敍四位也」東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「雜々例」
長元三年(一〇三〇)正月正月敍位 道忠王貞観御後無位四世 東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「王」
長元四年(一〇三一)正月五日正月敍位良國王稱「寛平御後」、敍從四位下。
「王氏爵非王胤。鎭西異姓者」
「源良國者、大宰大監大藏種材男也。先年、射殺大隅守菅野重忠犯人也。忽改姓名、謀計也。」
「良國有前犯之上、亦有斯事。可令追捕歟。」
『左經記』長元四年正月六日甲寅、正月八日丙辰、正月十二日庚申、正月十七日乙丑、三月十四日辛酉
『小右記』長元四年正月五日癸丑、正月六日甲寅、正月十一日己未、正月十四日壬戌、正月十七日乙丑、三月一日戊申、三月十四日辛酉
『小記目録』「年中行事 二」正月
『日本紀略』長元四年正月十七日乙丑、三月十四日辛酉
東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「王」
告井幸男『摂関期貴族社会の研究』 一四一〜一四五頁、一四七頁、一四八頁
長元四年(一〇三一)十一月十五日朔旦冬至敍位     
長元七年(一〇三四)正月正月敍位 □□王   東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「源」
長元九年(一〇三六)七月六日後朱雀院即位敍位     
寛徳二年(一〇四五)四月二十八日後冷泉院即位敍位     
永承五年(一〇五〇)十一月十三日朔旦冬至敍位     
康平四年(一〇六一)正月 日正月敍位 信孝王 元慶御後  『叙位尻付抄』
治暦四年(一〇六八)七月十九日後三條院即位敍位 兼則王 貞觀御後  『本朝世紀』治暦四年七月十九日
『帥記』
『江記』
治暦四年(一〇六八)十一月二十一日後三條院大嘗會敍位 秀員王 寛平御後  『本朝世紀』治暦四年十一月廿一日
延久元年(一〇六九)十一月二十二日朔旦冬至敍位     
延久四年(一〇七二)十二月二十八日白河院即位敍位     
承暦二年(一〇七八)正月四日正月敍位 王氏爵、沙汰の人なし『水左記』承暦二年正月四日
承暦四年(一〇八〇)正月六日正月敍位 王氏爵なし『水左記』承暦四年正月六日
永保二年(一〇八二  致C王    『朝野群載』九「功勞」依敍勞并奉公功申加階「從五位下行正親正致C王依敍勞等加階申文(永久二年正月四日)
應コ三年(一〇八六)十二月十六日堀河院即位敍位
「[攝政]仰云。王氏爵雖無親王擧、被敍否。予【通俊】申云。無親王擧、殊不被敍。但院【白河院】御時一兩有之敍之例。無左右仰。」
『御即位敍位部類』所引『通俊卿記』應コ三年十二月十六日(『大日本史料』第三編之一
寛治元年(一〇八七)十一月十八日堀河院大嘗會敍位 行季王 天安御後
寛平御後
 
 
 
 
『本朝世紀』寛治元年十一月十八日丙寅
東山御文庫所藏『敍位尻付抄』
寛治二年(一〇八八)十一月二十六日朔旦冬至敍位     
寛治四年(一〇九〇)正月六日正月敍位
「殿下被仰曰。王氏爵無擧人。以自解可敍歟。將不可有件爵歟。戸部被申云。可依年來例云々。右大辨申云。或有自解例云々。」
『柳原家記録』百三十七『江記』寛治四年正月六日
東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「王」
寛治八年(一〇九四)正月五日正月敍位 則仲王 貞觀御後兼綱王(村上御後)の父 『中右記』寛治八年正月五日
嘉祥二年(一一〇七)正月正月敍位 不敍王氏東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「王」
嘉祥二年(一一〇七)十一月二十九日鳥羽院即位敍位     
嘉祥四年(一一〇九)正月正月敍位 不敍王氏東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「王」
嘉祥五年(一一一〇)正月正月敍位 不敍王氏東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「王」
天仁元年(一一〇八)十一月二十日鳥羽院大嘗會敍位     
嘉承三年(一一〇八)正月正月敍位 無氏爵『殿暦』天仁元年正月廿四日
天永三年(一一一二)正月五日正月敍位
「王氏爵不敍。式部卿親王擧之。而近來無親王。仍不被敍。」
『殿暦』天永三年正月五日
永久三年(一一一五)正月五日正月敍位
「王氏爵不被敍。其人不尋得故也。」
『殿暦』永久三年正月五日
永久五年(一一一七)正月正月敍位 □□王寛平御後  東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「王」

 
 
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更新日時 : 2011.12.04.
公開日時 : 1999.05.25.


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