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C水正健『皇族考證』第參巻、二百七十〜二百七十一頁所引『一代要記』四「第六十五花山天皇」皇子「C仁親王」の子には「近信」とある。 |
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山田本・楓山本・岩倉本・刻本『本朝皇胤紹運録』、前田本『帝王系圖』には不見(C水正健『皇族考證』第參巻、二百七十一頁)。 |
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『稿本花山天皇實録』 一八四頁 「皇孫延信王」の〔按〕に、「延信王、吹上本帝王系圖ハ昭登親王ノ王子ト爲スモ尊卑分脈等ノ記載ニ從フ」とある。 |
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『稿本花山天皇實録』一八四頁所引『本朝皇胤紹運録』「延信王」袖書
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『尊卑分脈』寛和、C仁親王の子「延信」 |
延信王 | ||||||||
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萬壽二年(一〇二五)正月六日、從四位下に敍される(王氏爵。安和御後)。
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源朝臣延信 | ||||||||
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萬壽二年(一〇二五)十二月二十九日、父 C仁親王の奏請により、源朝臣を賜姓される。
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萬壽三年(一〇二六)四月二十七日、小除目において、侍從に任じられる。
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彈正大弼に任じられる。
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從四位上に敍される。
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寛コ三年(一〇四六)二月、~祇伯に任じられる。
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羽倉敬尚「荷田の落ち穂」(『近世学芸論考 ── 羽倉敬尚論文集 ──』(鈴木淳編。平成四年(一九九二)六月、明治書院)所收。初出、昭和四十七年(一九七二)十一月)一〇一頁に所引の(元禄十六年)霜月十日、羽倉駿河守信次宛、荷田東丸(春滿)書簡によると、稻荷社の羽倉家(荷田宿禰)の通字「延」・「信」は、延信王の諱を與えられたものであるという。
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『稿本花山天皇實録』 一八四頁 「皇孫延信王」 |
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