知兼王


前頁 「 知 [知惠觀院]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[知兼]

フレームなし

工事中

知兼王
 
【出自】
 
通季王[天暦御後]の八世孫。
 兼邦王の男子。
 
【官位】
 内膳正
 正親正
 正五位下
脇坂本・前田本・内閣文庫本『尊卑分脈』「長和 三條」 兼邦王の子
正五下
正親 内膳正
├知兼王──────────

 
【經歴】
從五位下に敍される。
内膳正に任じられる。
『尊卑分脈』「長和 三條
正親正に任じられる。
『尊卑分脈』「長和 三條
建武二年(一三三五)九月、伊勢例幣の使王を勤仕。時に從五位下行正親正。
『師守記』貞治六年五月四日紙背文書、宣命案
王從五位下行正親知兼王
建武五年(一三三八)正月五日、從五位上に敍される。時に正親正。
康永三年(一三四四)九月九日、
『師守記』康永三年九月九日
康永三年(一三四四)九月十一日、子息 兼英王が、代官として、伊勢例幣の使王を勤仕。
『師守記』康永三年九月十一日丁酉
・・・・・ 使王兼秀(【訂】英)(正親正知兼王代官。子息云々)・・・・・
康永四年(一三四五)九月十一日、伊勢例幣の使王を勤仕。時に正親正。
『師守記』康永四年九月十一日
使王知兼王
『師守記』康永四年九月十一日裏書、宣命案
王從五位上行正親正兼知王
兼知王とあるのは、知兼王の誤り。
貞和三年(一三四七)正月十四日、御齋會の竟日に參仕すべきところ、代わって子息(兼英王であろう)が參役。時に正親正。
『師守記』貞和三年正月十四日丁未 頭書
御齋會終。・・・・・ 正親正知兼代子息參役之。・・・・・
貞和五年(一三四九)二月十六日、近江權介を兼任。
『園太暦』貞和五年二月十六日「除目事」
除目。今日申刻許、陣儀了云々。聞書到來續之。・・・・・
 ・・・・・
 近江權介知兼王(兼)
 ・・・・・
 ・・・・・ [加賀]權大目山道苔里(當年内給)
 ・・・・・ [能登]權目豐國吉正(公重當年給)
 ・・・・・
 ・・・・・ [因幡]權目清海浪吉(權大納言源朝臣(宗)去年給)
 ・・・・・ [備中]少目香山花風(一品光子内親王當年給)
 ・・・・・
    貞和五年二月十四日
貞和五年(一三四九)九月十一日、伊勢例幣の使王となったが、子息兼英王が參役。
『師守記』貞和五年九月十一日
正五位下に敍される。
『尊卑分脈』「長和 三條
貞治三年(一三六四)正月までに出家または卒去。
貞治三年『暦名』(宮内庁書陵部所蔵。九326「五位已上歴名帳」)に不見。
 
【子女】
 □
兼英王
 □〔源朝臣業光
 □〔源朝臣氏重


 
次頁 「 知 [知子@]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 ち 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


更新日時: 2020.03.19.
公開日時: 2012.02.03.


Copyright: Ahmadjan & T.Takenaka 2012.2 - All rights reserved.