兼邦王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[兼邦]

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兼邦王
 
【出自】
 天暦御後
 
通季王[天暦御後]の七世孫。
 兼親王の男子。
脇坂本・前田家所藏一本・内閣文庫本『尊卑分脈』「長和 三條」 兼親王の子
 丹後守 【「守」、前田一本・内閣文庫本作「介」】
 正親正從五上
兼 邦 王 ───────────
 
【經歴】
正元元年(一二五九)十一月二十一日、朔旦冬至敍位において從五位下に敍される(王氏爵。天暦御後)。
『民經記』正元元年十一月廿一日己丑
從五位下 兼邦王(天暦御後)
正元元年(一二五九)十二月八日、龜山院即位由奉幣の使王となった父 兼親王の代官として勤仕。
内閣文庫藏『洞院家記』「御即位部類」所引『公相公記』
・・・・・ 爲子息兼邦王代官。
文永六年(一二六九)八月二十三日、龜山院一代一度大~寶使の伊勢使の使王を勤仕。時に散位從五位下。
『文永六年大~寶宣命送文記』(『~宮要綱』四六二〜四六三頁所引
『外寇御祈部類』所收『太~宮例文』
弘安十一年(一二八八)四月二十五日、臨時廿二社奉幣の伊勢使の使王を勤仕。時に散位。
『勘仲記』弘安十一年四月廿五日己卯
奉幣諸社使
 伊勢
  王散位兼邦王 ・・・・・
丹後守(または丹後介)に任じられる。
『尊卑分脈』「長和 三條
正親正に任じられる。
『尊卑分脈』「長和 三條
嘉暦三年(一三二八)九月六日、伊勢公卿勅使副使の使王を勤仕。時に從五位下行正親正。
『嘉暦三年戊辰九月十日公卿勅使御參宮日記』(柳原家記録661)
勅使正二位行權大納言藤原朝臣宣房、王従五位下行正親正兼邦王、中臣正四位下行神祇權大副大中臣朝臣親忠、忌部従五位下行神祇權少副齋部宿禰邦孝、卜部闕文大司康雄、權司通俊、少司國俊。
從五位上に敍される。
『尊卑分脈』「長和 三條
 
【子女】
知兼王
兼敦王


 
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更新日時: 2021.05.05.
公開日時: 2006.06.23.


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