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『 日本の親王 ・ 諸王 』
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王 氏 爵 表
自仁治元年 至元弘四年
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王 氏 爵 表
自元暦元年 至延應二年
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敍爵年月日
敍 位
王 氏
出 自
備 考
典 據
仁治元年(
一二四〇
)十一月十二日
朔旦冬至敍位
光弘王
『平戸記』仁治元年十一月十二日辛丑
仁治三年(
一二四二
)正月五日
正月敍位
式俊王
天暦御後
(兼重王の男子)
『民經記』「敍位執筆別記」仁治三年正月五日戊子
(
『大日本史料』第五編之十四
)
仁治三年(
一二四二
)三月十五日
後嵯峨院即位敍位
致懷王
四世無位
三條家本『御即位部類』所引『民經記』仁治三年三月十五日
丁
酉
(
『大日本史料』第五編之十四
)
仁治三年(
一二四二
)十一月十二日
後嵯峨院大嘗會敍位
兼行王
天暦御後
(兼俊王の孫)
『平戸記』仁治三年十一月十二日庚寅
寛元二年(
一二四四
)正月五日
正月敍位
資尚王
寛弘御後
寛和御後の誤りならん
『平戸記』寛元二年正月五日丙午
寛元三年(
一二四五
)正月五日
正月敍位
經躬王
寛和御後
『平戸記』寛元三年正月五日辛丑
寛元四年(
一二四六
)三月八日
後深草院即位敍位
康繼王
天暦御後
『平戸記』寛元四年三月八日丁酉
寛元四年(
一二四六
)十一月二十三日
後深草院大嘗會敍位
『百錬抄』寛元四年十一月廿三日
建長八年(
一二五六
)正月六日
正月敍位
博仲王
(寛和御後)
資基王の男子
のち
源朝臣資顯
『公卿補任』正安元年
正元元年(
一二五九
)十一月二十一日
朔旦冬至敍位
兼邦王
天暦御後
通季王裔の兼親王の男子
『民經記』正元元年十一月廿一日己丑
『百錬抄』正元元年十一月廿一日己丑
正元元年(
一二五九
)十二月二十五日
龜山院即位敍位
相綱王
天暦御後
『民經記』正元元年十二月廿五日癸亥
文應二年(
一二六一
)正月五日
正月敍位
氏仲王
寛和御後
『妙槐記』文應二年正月五日丁卯
(
東京大學史料編纂所所藏『柳原家記録』第四十三巻『私要抄』所收『花内記』
)
文永五年(
一二六八
)正月五日
正月敍位
政氏王
天暦御後
『妙槐記』文永五年正月五日丁亥
(
東京大學史料編纂所所藏『柳原家記録』第四十三巻『私要抄』所收『花内記』
)
文永七年(
一二七〇
)正月五日
正月敍位
康連王
天暦御後
『妙槐記』文永七年正月五日乙巳
(
東京大學史料編纂所所藏『柳原家記録』第四十三巻『私要抄』所收『花内記』
)
文永十一年(
一二七四
)正月五日
正月敍位
康家王
(寛和御後)
資緒王の男子
のち
資通王
、
資茂王
『公卿補任』嘉元四年
文永十一年(
一二七四
)三月二十六日
後宇多院即位敍位
弘安十一年(
一二八八
)正月六日
正月敍位
親高王
天暦御後
宮内庁書陵部所藏『敍位除目C書抄』
弘安十一年(
一二八八
)三月八日
伏見院即位敍位
C雄王
天暦御後
『勘仲記』弘安十一年三月八日癸巳
正應四年(
一二九一
)正月六日
正月敍位
宗久王
寛和御後
『勘仲記』正應四年正月六日乙巳
正應六年(
一二九三
)正月五日
正月敍位
資C王
(寛和御後)
業顯王の男子
『公卿補任』文保元年
永仁二年(
一二九四
)正月六日
正月敍位
廣邦王
寛和御後
『勘仲記』永仁二年正月六日丁巳
正安三年(
一三〇一
)三月十六日
後二條院即位敍位
經重王
天暦御後
「□顯宰相息子也」
「親顯宿禰子也」(疑問あり)
『業顯卿記』正安三年三月十五・十六日
(
『伯家記録考』三九七・三九八頁
)
正安三年(
一三〇一
)十一月十八日
後二條院大嘗會敍位
資兼王
寛和御後
業顯王の男子
『實躬卿記』「正安三年十一月大嘗會記」正安三年十一月十八日
癸
丑
コ治二年(
一三〇七
)正月五日
正月敍位
愼明王
天暦御後
『實躬卿記』コ治二年正月五日
應長二年(
一三一二
)正月五日
正月敍位
資英王
寛和御後
資C王の男子
『公卿補任』文和二年
元弘二年(
一三三二
)三月十八日
光嚴院即位敍位
『後圓光院關白記』正慶元年三月十八日
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更新日時 : 2021.12.07.
公開日時 : 1999.06.08.
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