式俊王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[式俊]

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式俊王 のりとしのおほきみ
 
【出自】
 天暦御後
 
通季王[天暦御後]の七世孫。
 兼重王の男子。
『尊卑分脈』「長和 三條」 兼重王の子
└式俊王
 
【經歴】
仁治三年(一二四二)正月五日、從五位下に敍される(王氏爵。天暦御後)。
『民經記』「敍位執筆別記」仁治三年正月五日戊子(『大日本史料』第五編之十四、五〜二四頁所引『經光卿敍位執筆別記』
・・・・・ 次予取王帋【氏】申文(在二筥。諸申文上横入之。付短册)。前ニテ解短尺、如初調置取申文。右披讀申(式俊王)。御目之後敍之(披置硯右所敍也)。從五位下所書付也。其書樣、
敍王
  式俊王 天暦御後
次置筆、讀申敍位。次置敍位於前取申文、染筆懸勾(人名上)、置筆。卷申文取平メテ入十年勞筥。次取源氏申文(在硯下)。・・・・・
一、尻付事
 ・・・・・
 二筥(・・・・・)
  四位自解(付短尺) 五位自解(付短尺)
  王氏申文(付短尺) 諸申文上ニ横入之。
今度位【簿カ】
・・・・・
從五位下
 式  俊  王 天暦御後
 平 朝臣繁有 藏人
 藤原朝臣業繼 民部
 源朝臣 定實 
 藤原朝臣季成 
 橘 朝臣蔭平 
 ・・・・・
寛元四年(一二四六)十一月十六日、後深草院大嘗會由奉幣の使王となるが參向せず、「余一重□」(重基王ならん)が式俊王の名代となった。
『太~宮司~事供奉記』寛元四年十一月廿二日
『百練抄』寛元四年十一月十六日辛未
被發遣三社奉幣使。
『民經記』暦記 寛元四年十一月十六日辛未
『民經記』目録 寛元四年十一月十六日(廣橋本『大嘗會雜事日限勘例』


 
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更新日時: 2020.03.19.
公開日時: 2005.02.08.

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