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『 日本の親王 ・ 諸王 』 より

 
臣 籍 降 下 ・ 賜 姓 表
自承和元年 至承和十五年
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臣籍降下・賜姓日時 臣籍降下・賜姓者 官位・出自 氏 姓 備考 典據
天長十年(八三三)十一月十八日から承和五年(八三八)十一月二十日までの間 氏雄王(從五位下) 文室朝臣 『續日本後紀』天長十年十一月庚午
『續日本後紀』承和五年十一月甲戌
承和元年(八三四)正月七日から承和六年(八三九)二月十八日までの間 助雄王(從五位下) 文室朝臣中納言從三位 直世王の二男『續日本後紀』承和元年正月戊午
『續日本後紀』承和六年二月庚午
『日本文コ天皇實録』天安二年三月乙亥
承和二年(八三五)四月二日



仁明天皇の男子。 源朝臣當該の承和二年四月二日に賜姓された人名について、『續日本後紀』承和二年四月二日丙子には明記なし。
源朝臣登については、「承和之初、賜姓源朝臣」とあり、この時の賜姓であると考えられる。
源朝臣登は、その後、生母の過失により源朝臣を削られ、出家す(法名深寂)。貞觀八年(八六六)三月二日、あらためて貞朝臣を賜姓される。
『續日本後紀』承和二年四月二日丙子
『日本三代實録』貞觀八年三月二日戊寅
承和五年(八三八)四月十五日 春男王右京人
正六位上
宗高眞人 『續日本後紀』承和五年四月壬寅
承和八年(八四一)七月十一日
御津井王
是雄王
眞雄王
國雄王
本吉王
淨道王
稻雄王
多積王
安冨王
伊賀雄王
三輪女王
坂子女王
右京人六世
新男王
春男王
三守王
並雄王
[右京人]七世
有澤眞人「一品長野【ママ】親王五世孫正六位上乙雄王之男孫也」
※ 貞觀十四年(八七二)、「右京人有澤眞人春則等男女九人」が文室眞人を賜姓される。『日本紀略』貞觀十四年九月十五日辛亥(『日本三代實録』は八月十三日)「右京人有澤眞人春則等男女九人、賜姓文室眞人」
『續日本後紀』承和八年七月己卯
承和九年(八四二)六月二十三日 長宗[王]
廣宗[王]
高枝[王]

他 王七人
右京人正六位上保雄王の男
「三品忍壁親王六世孫也」
C瀧眞人 『續日本後紀』承和十年六月丙申
承和十年(八四三)六月七日
長谷王
鳥嶋王
池子女王
右京人六世
小長谷王[右京人]七世
眞春眞人 『續日本後紀』承和十年六月甲子
承和十年(八四三)六月二十九日
岑正王
是子女王
貞子女王
六世
「左京人從五位下春枝王之[子]」
原雄王六世
「正六位上秋枝王之子」
高階眞人「淨廣壹高市皇子後也」『續日本後紀』承和十年六月丙申【戌】
承和十年(八四三)六月二十九日
安繼王
C淵王
易野女王
「右京人五世正六位上令根王之子」
良長王
良雄王
良氏王
瀧子女王
「五世正六位上永根王之子」
C瀧眞人「三品忍壁親王之別也」『續日本後紀』承和十年六月丙申【戌】
承和十一年(八四四 峯緒  高階眞人 『尊卑分脈』高階
類從本『本朝皇胤紹運録』
承和十三年(八四六)二月二十八日
興岑[王]
忠道[王]
忠棟[王]
忠主[王]
他、王五人
從五位下u善王の男
豐助[王]
將兄[王]
諸山[王]
他、王二人
正六位上藤坂王の男
藤主[王]
藤宗[王]
有宗[王]
正六位上御藤王の男
C原眞人※ 興岑[王]は、齊衡二年(八五五)十二月二十六日にC原眞人を賜姓された中務少輔從五位下興峯王と同一人か。ならば、この賜姓の後、復屬籍、その後 再び賜姓された、ということになる。『續日本後紀』承和十三年二月己亥
承和十三年(八四六)六月二十五日
廣田王左京四條四坊戸主
正六位上
長田[王]
田吉[王]
豐田[王]
次田[王]
他、王四十二人
左京四條四坊戸口
C原眞人 『續日本後紀』承和十三年六月甲午
承和十三年(八四六)七月二日
永安[王]
安良[王]
安基[王]
正五位下岑成王の男
基雄[王]
惟岳[王]
常名[王]
正五位下長田王の男
惟岳は内舍人正六位上
玄瞻[王]
正文[王]
正六位上長統王の男
他、王三十一人
C原眞人岑成王・長田王は、嘉祥二年(八四九)十一月二日にC原眞人を賜姓される。
※ その後、長統王もC原眞人を賜姓される。
『續日本後紀』承和十三年七月辛丑
承和十三年(八四六)十二月二十日 豐繩[王]
豐宗[王]
豐方[王]
豐道[王]
潔河[王]
C雄[王]
貞永[王]
C宗[王]
氏吉[王]
貞宗[王]
吉宗[王]
安宗[王]
左京人六世王 C原眞人※ 天長十年(八三三)十二月七日にC原眞人を賜姓された豐宗王・豐方王等七人は、この十二人のうちの七人と同一人か。『續日本後紀』承和十三年十二月丁亥
承和十四年(八四七)閏三月十五日
廣野[王]
大野[王]
無位
左京人戸主御友王の男
wY[王]
春雄[王]
眞野[王]
安野[王]
[無位]
[左京人]戸主武藏王の男
淡海眞人 『續日本後紀』承和十四年閏三月庚辰
承和十四年(八四七)七月二十一日
賀我王右京人六世
眞藥王[右京人]七世
他十一人
御高眞人「忍壁親王後也」『續日本後紀』承和十四年七月甲申
承和十五年(八四八)四月一日
春常王五世無位
田上王
春世王
六世正六位下
文室朝臣「天渟中原瀛眞人天皇【天武天皇】第二皇子二品長親王之後也」
※ 仁壽三年(八五四)八月十三日において文室朝臣を賜姓された春常王・田上王・春世王と同一人ならん。
『續日本後紀』承和十五年四月庚寅朔


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更新日時 : 2012.07.17.
公開日時 : 2000.11.25.


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