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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[御藤]

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御藤王
 
【出自】
 系譜未詳。
 四世王以下。
延暦十五年(七九六)十二月九日より、滿二十一歳で自動的に四世王、五世王、嫡子の六世王は正六位上となったので、正六位上であった藤坂王は四世王以下であると推定される。
 舍人親王の後裔か。
 
【經歴】
八二五年(天長二年)以前の誕生であると考えられる。
承和十三年(八四六)二月二十八日までに正六位上に敍される。
延暦十五年(七九六)十二月九日より、滿二十一歳で自動的に四世王、五世王、嫡子の六世王は正六位上となり、庶子の六世王は正六位下となったので、承和十三年(八四六)二月二十八日に正六位上の位階にあった御藤王は、その時點において滿二十一歳以上であったと考えられる。
承和十三年(八四六)二月二十八日、子の藤主王・藤宗王・有宗王がC原眞人を賜姓される。
『續日本後紀』承和十三年二月己亥
從五位下u善王男興岑・忠道・忠棟・忠主等王九人、正六位上藤坂王男豐助・將兄・諸山等王五人、正六位上御藤王男藤主・藤宗・有宗等王三人、賜姓C原眞人。
 
【子女】
 □
藤主王
 □ 藤宗王
 □ 有宗王
 
【備考】
宮内庁書陵部所藏『續華族系譜』第三十七册所收『山田家系圖 C原眞人姓/家紋左三巴』(伯爵山田繁榮の呈譜。明治三十三年三月十九日)は、三原王(舍人親王の子)の子 山口王の子と作す。
宝賀寿男「鈴木真年翁の系図収集先 (下) ─ 併せて「越中石黒系図」を論ず ─」(『家系研究』第20号、一九八八年十二月)6〜7頁。


 
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公開日時: 2012.02.24.

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