懐言王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[懷言]

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懷言王
 
【出自】
 寛平御後
 
資遠王の男子と推定される。
懷言王の子である懷遠王は、資遠王の孫。
 ※ 諱の類似から、資懷王の兄である可能性があるか。
 
【經歴】
仁平三年(一一五三)正月五日、從五位下に敍される(王氏爵。寛平御後)。
『山槐記』仁平三年正月五日乙未(東京大學史料編纂所所藏『柳原家記録』第四十三巻『私要抄』所收
東洋文庫舊藏 廣橋家記録 『後法性寺殿御抄』「叙位尻付例」一 叙爵「王」
仁安二年(一一六七)六月十九日、廿二社奉幣伊勢使の使王を勤仕。
『顯廣王記』仁安二年六月十九日乙酉
廿二社奉幣。依去五日御卜也。上卿源大納言【雅通】。行事右少辨重方。伊世使、王懷言、中臣爲定、忌部茂重、卜部兼衡。
續史料大成本『伯家五代記』所收『顯廣王記』仁安二年六月十九日
廿二社奉幣。依去五日御卜也。・・・・・ 伊世使、王懷言、中臣爲定、忌部茂ー、卜部兼衝【衡】。
嘉應二年(一一七〇)二月十五日、祈年穀奉幣伊勢使の使王を勤仕。
『玉葉』嘉應二年二月十日辛卯「奉幣行事外記來仰宣命之間事」
今日外記祐職(奉行外記也)來云。「宣命草奏、明後日定次可候歟由、ョ業令申」云々。答云。「前日若當日早旦可奏者」。又使等事可催具由仰之。申云。「大略催沙汰。而王大夫在京只一人、稱障。仍所責催也」云々。
『玉葉』嘉應二年二月十一日壬辰
召外記祐職、問使王事 ・・・・・。申云。・・・・・ 使王在京只一人。雖所澁申。責取領状了。使等催調可令申也者。
『玉葉』嘉應二年二月十三日甲午
・・・・・ 外記又申云。「使王一人可參。今一人催出。必可有卜串之由、ョ業所申也云々」。仰云。「尤可然」。外記退出。
『玉葉』嘉應二年二月十四日乙未
早旦外記祐職來云。王大夫已二人催出。可有卜串。
『玉葉』嘉應二年二月十五日丙申「祈年穀奉幣事」「開卜串」「使王申御馬事」
・・・・・ 次外記祐職持參卜串(納筥)。置余前。余置笏(奥)。引寄筥取出卜串(乙下合也)。透見之。【一五四頁】返入筥賜之。仰可開之由。外記取筥置前。以不合之卜串、筥下方横置之。開乙下合(懷言王)・丙合(兼綱王)等。乍筥進之。余見了返給。仰可遣乙下合者之由(其詞云。乙下合懷言王ヲ遣セ)。祐職稱唯退出。・・・・・
『古事類苑(~祇部 二)』~祇部二十五「祈年穀奉幣」七六頁、九五〜九六頁
承安二年(一一七二)六月七日、公卿勅使副使を勤仕。
『玉葉』承安二年六月七日甲辰「伊勢公卿勅使發遣事」
・・・・・ 仰可遣乙下合懷言[王]之由。・・・・・
承安四年(一一七四)八月十八日、祈年穀奉幣伊勢使の使王を勤仕。
『顯廣王記』承安四年八月十八日壬申
□【祈】年穀奉幣也。有使論、中臣永親定補也。□□大雨。天リ之後有此事。
續史料大成本『伯家五代記』所收『顯廣王記』承安四年八月十八日
ー【祈】年穀奉幣也。・・・・・
裏書
・・・・・ 伊勢使、王懷言、中臣永親、忌部致貞、卜部致ョ ・・・・・
安元二年(一一七六)三月十日、祈年穀奉幣伊勢使の使王を勤仕。
『顯廣王記』安元二年三月十日乙卯
祈年穀奉幣也。上卿權大納言實房卿。左中辨重方朝臣。職事勘解由次官平基親。伊世使、懷言王、永親【中臣】、明友【忌部】、兼貞【卜部】。・・・・・
續史料大成本『伯家五代記』所收『顯廣王記』安元二年三月十日
祈年穀奉幣也。・・・・・
伊世使、懷言王、永親【中臣】、明友【忌部】、兼貞【卜部】。
安元三年(一一七七)三月十一日、祈年穀奉幣伊勢使の使王を勤仕。
『愚昧記』安元三年三月十一日
文治五年(一一八九)三月二十五日、公卿勅使副使を勤仕。
續史料大成本『伯家五代記』所收『仲資王記』文治五年三月廿五日乙卯
今日、伊勢太~宮勅使大納言實家卿、被進發之。
裏ニ書リ。廿五日。天霽。以權大納言者實家卿、爲伊勢太~宮勅使。是去年[已]後、御戸 不開之故云々。副使、王散位懷言★【※ 續史料大成、二六頁下には、誤って二行後に入るべき「四月」が此處に竄入王、中臣權少副定輔、忌部權少祐明茂、卜部大學助兼高等也。
建久六年(一一九五)七月九日、中宮御産御祈十三社奉幣伊勢使の使王を勤仕。
『三長記』建久六年七月九日辛卯「中宮御産御祈十三社奉幣事」
伊勢
  ー 懷言王
 ・・・・・ 
建久八年(一一九七)二月二十二日、祈年穀奉幣伊勢使の使王を勤仕。
『猪隈關白記』建久八年二月廿二日丙寅
・・・・・ 頭中將通宗朝臣來、仰宣命辭別事。次外記【大外記中原師直】持來卜串(入筥)、置余前。返給外記令開之。開了又置前。余見了。「仰可遣懷言王」之由(乙下合者也)。返給筥。・・・・・
正治元年(一一九九)九月十一日、~嘗使(伊勢例幣使)の使王を勤仕。
續史料大成本『伯家五代記』所收『業資王記』正治元年九月十日
~嘗使差文加署。王氏懷言王、中臣權少副隆宗、忌部權少祐明茂、卜部兼高。
正治二年(一二〇〇)二月二十二日、祈年穀奉幣伊勢使の使王を勤仕。
『猪隈關白記』正治二年二月廿二日戊寅
・・・・・ 則大外記良業參着軾。仰可持參卜串之由。則持參之(入箱)、置余座前。余取之透志天見之。如本入筥乍筥外記。令開之。開了返上置前。余見了。「仰可遣懷言王」之由(乙下合者也)。外記取筥退出。・・・・・
 
【子女】
懷遠王


 
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更新日時: 2021.04.29.
公開日時: 2009.06.19.


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