懐遠王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[懷遠]

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懷遠王 なりとを
 
【出自】
 寛平御後か
懷遠王の父 懷言王は寛平御後として氏爵で敍爵。
 
懷言王の男子。
 資遠王の孫。
 
【經歴】
建久五年(一一九四)正月六日、從五位下に敍される(王氏爵)。
柳原本『仲資王記』建久五年正月六日戊辰
續史料大成本『伯家五代記』所收『仲資王記』建久五年正月六日
敍位儀云々。依公家御衰日延引歟。
(裏書)敍位儀也。氏爵懷遠王(懷言王男也)。予【仲資王】擧之。
元久元年(一二〇四)十二月一日、土御門院の御元服由被告伊勢一社奉幣伊勢使の使王を勤仕。時に散位。
續史料大成本『伯家五代記』所收『仲資王記』元久元年十二月【十日の前】
主上明年正月迄
御元服由伊勢一社被告由奉幣被發遣。使、散位懷遠王(資遠孫)、中臣少祐永隆、忌部少史明尚、卜部豐前守兼清 ・・・・・
『天皇冠禮部類記』所引『大外記良業記』元久元年十二月一日己丑(『群書類從』巻第九十七)
嘉祿三年(一二二七)正月二十六日、内膳正に任じられる。
『明月記』安貞元年【嘉祿三年】正月廿五日
除目入眼明日云々。
『明月記』安貞元年【嘉祿三年】正月廿七日
臨昏、見荒凉聞書(如抄物)。・・・・・ 内膳正懷遠王。・・・・・
貞永二年(一二三三)正月七日、從五位上に敍される。

仁治元年(一二四〇)八月十七日、祈年穀奉幣伊勢使の使王を勤仕。時に散位。
『太~宮司~事供奉記』延應二年八月廿二日
内膳正に再任。
寛元四年(一二四六)八月七日、祈年穀奉幣伊勢使の使王を勤仕、伊勢に參宮。時に内膳正。
『太~宮司~事供奉記』寛元四年八月七日
『百錬抄』寛元四年八月二日戊子
『民經記』暦記 寛元四年八月二日戊子


 
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更新日時: 2020.02.13.
公開日時: 2011.12.27.


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