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『 日本の親王 ・ 諸王 』 より

 
臣 籍 降 下 ・ 賜 姓 表
自天平寶字元年 至天應二年
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臣籍降下・賜姓日時 臣籍降下・賜姓者 官位・出自 氏 姓 備考 典據
天平寶字元年(七五七)閏八月十八日
出雲王
篠原王
尾張王
從五位下
奄智王
猪名部王
無位
豐野眞人豐野眞人は、天武天皇の男子 高市王の後裔。
豐野眞人出雲豐野眞人奄智豐野眞人五十戸は鈴鹿王の子。
豐野眞人五十戸猪名部王からの改名か。

※ 嘉祥元年(八四八)七月四日、「右京人蔭孫正六位下豊野眞人澤野兄弟姉妹十人」が高階眞人を賜姓された。
『續日本紀』天平寶字元年閏八月癸亥
『續日本紀』寶龜元年八月戊戌
『新撰姓氏録』右京皇別「豐野眞人」
『續日本後紀』嘉祥元年七月辛酉
天平寶字二年(七五八)二月九日/十二月十五日 廣野王左大舍人
左京人
池上眞人敏達天皇の男子 百濟王の後裔。『續日本紀』天平寶字二年二月辛亥
『續日本紀』天平寶字二年十二月癸丑
『新撰姓氏録』左京皇別「池上眞人」
天平寶字四年(七六〇)二月十一日 [石川朝臣廣成【廣代】]從五位下 高圓朝臣
タカマド
「元就母氏、爲石川朝臣
高圓朝臣廣世に同じ。
『續日本紀』天平寶字四年二月壬寅
『新撰姓氏録』右京皇別下「高圓朝臣」
天平寶字五年(七六一)三月二十四日
葦原王
茅原王
芽原王
忍壁親王の孫。
山前王の男子。
葦原王の男女六人
 
龍田眞人「坐以刃殺人」
「帝以宗室之故、不忍致法、仍除王名配流」
男女六人復令相隨」
『續日本紀』天平寶字五年三月己酉
天平寶字五年(七六一)十月十一日
[御方廣名]正八位上
他二人
 
[御方宿禰]御方大野の近親か。『續日本紀』天平寶字五年十月壬戌
天平寶字五年(七六一)十月十一日から天平寶字六年(七六二)正月四日までの間 陽胡女王
陽候王
新田部親王の女子と推定される。 氷上眞人 『續日本紀』天平寶字五年十月壬戌
『續日本紀』天平寶字六年正月癸未
天平寶字七年(七六三)八月十九日 (池田親王の男女五人) 御長眞人「其母出自凶族。臣【池田親王】惡其逆黨、不預王籍。・・・・・ 不爲處置、恐聖化之内有失所之民。・・・・・」
※寶龜三年(七七二)八月十二日「復屬籍」の三長眞人藤野等はこの時の賜姓に預ったものか。
『續日本紀』天平寶字八年八月戊子
天平寶字八年(七六四
笠王
何鹿王

イカルカ
爲奈王
=猪名王
守部王の男
山口王
長津王
三原王の男
葦田王船王の男
他田王
津守王
豐浦王
宮子王
船王の孫
三長眞人配丹後國。
寶龜二年(七七一)七月十一日、復屬籍。
『續日本紀』寶龜二年七月乙未
神護景雲三年(七六九)五月二十五日 不破内親王(聖武天皇の女子) 厨眞人厨眞人厨女と改姓名させられる。
寶龜三年(七七二)十二月十二日、復屬籍。
『續日本紀』神護景雲三年五月壬辰
寶龜二年(七七一)九月十三日
林王三嶋王の男
三直王
三眞王
庸取王【鷹取王
三宅王
畝火女王
石部女王
三使王の男女
笠王
何鹿王
猪名王

=爲奈王
守部王の男
山邊眞人山邊眞人笠は寶龜五年(七七四)十二月四日、復屬籍。
山邊眞人何鹿山邊眞人猪名は寶龜七年(七七六)九月二十六日、復屬籍。
『續日本紀』寶龜二年九月丙申
寶龜三年(七七二)二月二十二日以前 小月王掃守王の男 勝間田流信濃國。
寶龜三年(七七二)二月二十二日、復屬籍。
『續日本紀』寶龜三年二月癸酉
寶龜三年(七七二)十月五日 小家内親王   菅生王と姦したため削屬籍。『續日本紀』寶龜三年十月壬子
寶龜四年(七七三)十月六日 安宿王長屋王の男 高階眞人安宿王の子も同時に賜姓か。
高階眞人は、天武天皇の男子 高市王の後裔。
『續日本紀』寶龜四年十月戊申
『新撰姓氏録』左京皇別「高階眞人」


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更新日時 : 2008.08.18.
公開日時 : 2000.09.16.


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