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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[奄智]
 
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奄智王
 のち豐野眞人奄智
竹内理三/山田英雄/平野邦雄『日本古代人名辭典』第一巻(吉川弘文館、昭和三十三年八月初版)、および、『續日本紀索引』(吉川弘文館、昭和四十二年九月初版)、一三頁上では「あんち」と訓んでいるようである。
 
【出自】
 天武天皇三世
 
鈴鹿王の男子。
 高市皇子の孫。
 
【經歴】
奄智王
豐野眞人奄智
天平寶字元年(七五七)閏八月十八日、豐野眞人を賜姓される。時に無位。
『續日本紀』天平寶字元年閏八月癸亥
從五位下出雲王・篠原王・尾張王、无位奄智王・猪名部王、賜姓豊野眞人。
正六位上に敍される。
天平寶字八年(七六四)十月七日、惠美押勝追討の功績により、正六位上より從五位下に敍される。
『續日本紀』天平~護二年十二月癸巳
詔加賜親王・大臣之胤及預討逆徒諸氏人等位階。・・・・・ 正六位上守山眞人綿麻呂・海上眞人淨水 ・・・・・ 豊野眞人奄智・文室眞人水通・國見眞人安曇 ・・・・・ 並[授]從五位下。
天平~護二年(七六六)十二月十二日、從五位下より從五位上に敍される。
『續日本紀』天平~護二年十二月癸巳
幸西大寺。・・・・・ 從五位上豊野眞人出雲[授]正五位下。從五位下豊野眞人奄智[授]從五位上。正六位上豊野眞人五十戸[授]從五位下。
~護景雲二年(七六八)二月十八日、圖書頭に任じられる。
『續日本紀』~護景雲二年二月癸巳
[以]從五位上豊野眞人奄智爲圖書頭。
~護景雲四年(七七〇)八月九日、從五位上より正五位下に敍される。父 鈴鹿王の舊宅を、稱コ天皇の山陵としたため。
『續日本紀』寶龜元年八月戊戌
授正五位下豊野眞人出雲從四位下、從五位上豊野眞人奄智正五位下、從五位下豊野眞人五十戸從五位上。以其父故式部卿從二位鈴鹿王舊宅爲山陵故也。
寳龜二年(七七一)閏三月一日、大判事に任じられる。
『續日本紀』寳龜二年閏三月戊子朔
[以]正五位下豊野眞人奄智爲大判事。
寳龜二年(七七一)七月二十三日、兵部大輔に任じられる。
『續日本紀』寳龜二年七月丁未
[以]正四位下藤原朝臣田麻呂爲兵部卿。・・・・・ [以]正五位下豊野眞人奄智爲大輔。
寳龜三年(七七二)十一月一日、出雲守に任じられる。
『續日本紀』寳龜三年十一月丁丑朔
[以]正五位上【ママ】豊野眞人奄智爲出雲守。
寳龜七年(七七六)三月六日、兵部大輔に任じられる。
『續日本紀』寳龜七年三月癸巳
[以]正五位下豊野眞人奄智爲兵部大輔。
寳龜九年(七七八)二月二十三日、右中辨に任じられる。
『續日本紀』寳龜九年二月庚子
[以]正五位下豊野眞人奄智爲右中弁。
寳龜十年(七七九)正月二十三日、正五位下より正五位上に敍される。
『續日本紀』寳龜十年正月甲子
[授]正五位下豊野眞人奄智正五位上。
天應元年(七八一)四月十五日、桓武天皇即位敍位において、正五位上より從四位下に敍される。
『續日本紀』天應元年四月癸卯
[授]正五位上豊野眞人奄智 ・・・・・ 並從四位下。
天應元年(七八一)五月二十五日、攝津大夫となる。
『續日本紀』天應元年五月癸未
[以]從四位下豊野眞人奄智爲攝津大夫。
天應元年(七八一)十二月二十三日、太上天皇[光仁天皇]の崩御に際し、御装束司となる。
『續日本紀』天應元年十二月丁未
是日、以 ・・・・・ 從四位下淡海眞人三船・豊野眞人奄智 ・・・・・ 爲御装束司。
延暦二年(七八三)三月十二日、中務大輔に任じられる。
『續日本紀』延暦二年三月己丑
以從四位下豊野眞人奄智爲中務大輔。
延暦三年(七八四)六月五日、卒去。ときに中務大輔從四位下。
『續日本紀』延暦三年六月甲辰
中務大輔從四位下豊野眞人奄智卒。
 
【文獻等】
竹内理三・山田英雄・平野邦雄 『日本古代人名辭典』第一巻、一一九頁下「奄智王」


 
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更新日時: 2008.12.25.
公開日時: 2004.12.11.


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