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天平寶字元年(七五七)閏八月十八日、豐野眞人を賜姓される。時に無位。
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『續日本紀』天平寶字元年閏八月癸亥
從五位下出雲王・篠原王・尾張王、无位奄智王・猪名部王、賜姓豊野眞人。
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正六位上に敍される。
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天平寶字八年(七六四)十月七日、惠美押勝追討の功績により、正六位上より從五位下に敍される。
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『續日本紀』天平~護二年十二月癸巳
詔加賜親王・大臣之胤及預討逆徒諸氏人等位階。・・・・・ 正六位上守山眞人綿麻呂・海上眞人淨水 ・・・・・ 豊野眞人奄智・文室眞人水通・國見眞人安曇 ・・・・・ 並[授]從五位下。
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天平~護二年(七六六)十二月十二日、從五位下より從五位上に敍される。
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『續日本紀』天平~護二年十二月癸巳
幸西大寺。・・・・・ 從五位上豊野眞人出雲[授]正五位下。從五位下豊野眞人奄智[授]從五位上。正六位上豊野眞人五十戸[授]從五位下。
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~護景雲二年(七六八)二月十八日、圖書頭に任じられる。
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~護景雲四年(七七〇)八月九日、從五位上より正五位下に敍される。父 鈴鹿王の舊宅を、稱コ天皇の山陵としたため。
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『續日本紀』寶龜元年八月戊戌
授正五位下豊野眞人出雲從四位下、從五位上豊野眞人奄智正五位下、從五位下豊野眞人五十戸從五位上。以其父故式部卿從二位鈴鹿王舊宅爲山陵故也。
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寳龜二年(七七一)閏三月一日、大判事に任じられる。
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寳龜二年(七七一)七月二十三日、兵部大輔に任じられる。
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『續日本紀』寳龜二年七月丁未
[以]正四位下藤原朝臣田麻呂爲兵部卿。・・・・・ [以]正五位下豊野眞人奄智爲大輔。
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寳龜三年(七七二)十一月一日、出雲守に任じられる。
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寳龜七年(七七六)三月六日、兵部大輔に任じられる。
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寳龜九年(七七八)二月二十三日、右中辨に任じられる。
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寳龜十年(七七九)正月二十三日、正五位下より正五位上に敍される。
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天應元年(七八一)四月十五日、桓武天皇即位敍位において、正五位上より從四位下に敍される。
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『續日本紀』天應元年四月癸卯
[授]正五位上豊野眞人奄智 ・・・・・ 並從四位下。
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天應元年(七八一)五月二十五日、攝津大夫となる。
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天應元年(七八一)十二月二十三日、太上天皇[光仁天皇]の崩御に際し、御装束司となる。
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『續日本紀』天應元年十二月丁未
是日、以 ・・・・・ 從四位下淡海眞人三船・豊野眞人奄智 ・・・・・ 爲御装束司。
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延暦二年(七八三)三月十二日、中務大輔に任じられる。
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延暦三年(七八四)六月五日、卒去。ときに中務大輔從四位下。
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