篠原王
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天平勝寶五年(七五三)五月十日、無位から從五位下に敍される。
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豐野眞人篠原
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天平寶字元年(七五七)閏八月十八日、豐野眞人を賜姓される。時に從五位下。
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『續日本紀』天平寶字元年閏八月癸亥
從五位下出雲王、篠原王、尾張王、无位奄智王、猪名部王賜姓豊野眞人。
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天平寶字二年(七五八)、阿波守に在任。
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『續日本紀』寶龜四年【七七三】五月辛巳【七日】
阿波國勝浦郡領長費人立言。庚午之年、長直籍皆著「費」之字。因茲、前郡領長直救夫【枚夫】、披訴改注「長直」。天平寶字二年、國司從五位下豊野眞人篠原以無記験、更爲「長費」。官判依庚午籍爲定。又其天下氏姓、「青衣」爲「采女」、「耳【イ身】中」爲「紀」、「阿曾美」爲「朝臣」、「足尼」爲「宿祢」。諸如此類。不必從古。【此下恐有脱文】
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天平寶字七年(七六三)四月十四日、大膳亮となる。
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天平~護元年(七六四)二月五日、外衞中將となる。
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『續日本紀』天平~護元年二月丙寅
以從四位下牡鹿宿祢嶋足爲近衛員外中將。從五位下弓削宿祢牛養爲少將。正五位上藤原朝臣田麻呂爲外衛大將。從五位下豊野眞人篠原爲中將。
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~護景雲二年(七六八)七月一日、弾正弼となる
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~護景雲四年(七七〇)八月九日までに卒去または出家。
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『續日本紀』寶龜元年八月戊戌
授正五位下豊野眞人出雲從四位下。從五位上豊野眞人奄智正五位下。從五位下豊野眞人五十戸從五位上。以其父故式部卿從二位鈴鹿王舊宅爲山陵【稱コ天皇陵(大和國添下郡佐貴郷高野山陵)】故也。
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『稿本天武天皇實録』「皇曾孫篠原王」三七三頁「鈴鹿王ノ王子ナリ」〔按〕
本條參考ニ附載セル續日本紀寶龜元年八月戊戌ノ記事ニ出雲、奄智、五十戸ノ三人ノ名アリテ篠原、尾張ノ名無キモ、本條所引續日本紀【天平寶字元年閏八月癸亥】ノ記事ヲ參看スルニ出雲王已下ノ五王ハ
兄弟ナルベキカ、而シテ寶龜元年ニハ篠原、尾張ノ二人既ニ卒去セシトモ考ヘラル、今姑ク鈴鹿王ノ王子トシテ掲記ス、
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