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『 日本の親王 ・ 諸王 』
より
臣 籍 降 下 ・ 賜 姓 表
自天平元年 至天平勝寶九歳
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臣籍降下・賜姓日時
臣籍降下・賜姓者
官位・出自
等
氏 姓
備考
典據
天平八年(
七三六
)十一月十七日
葛城王
參議從三位行左大辨
栗隈王の孫。
美努王の男子。
佐爲王
從四位上
橘宿禰
母
縣犬養橘宿禰三千代
の賜わった
橘宿禰
姓を賜わる。この時、葛城王・佐爲王の男女(
のちの
橘朝臣奈良麻呂
ら
)も賜姓されたと推定される。
天平八年十二月二十日、葛城王は
橘宿禰諸兄
と改名。
橘宿禰諸兄は、天平勝寶二年(
七五〇
)正月十六日、
橘朝臣
を賜姓される。
故
橘宿禰佐爲の男女も、同時に賜姓されたか。
橘宿禰佐爲の男女は、天平勝寶九歳(
七五七
)閏八月十八日、
廣岡朝臣
を賜姓されたが、その後、
橘宿禰
、次いで
橘朝臣
に復す。
橘朝臣は、敏達天皇の男子
難波王
の後裔。
『續日本紀』天平八年十一月丙戌・壬辰
『新撰姓氏録』左京皇別上「橘朝臣」
天平十一年(
七三九
)四月三日
高安王
從四位上
(櫻井王・門部王の兄弟
歟
)
等
大原眞人
詔あり。
大原眞人
は、敏達天皇の孫
百濟王
の後裔。
高安の女子
高田女王
も同時に賜姓されたか。
『續日本紀』天平十一年四月甲子
『新撰姓氏録』左京皇別「大原眞人」
天平十一年(
七三九
)[
四月三日歟
]
櫻井王
「從四位下彈正尹」?
彦仁皇子の後裔。
(高安王・門部王の兄弟
歟
)
大原眞人
高安王と同時に賜姓か。
大原眞人
は、敏達天皇の孫
百濟王
の後裔。
『日本高僧傳要文抄』所引『音石山大僧都傳』
『新撰姓氏録』左京皇別「大原眞人」
天平九年(
七三七
)十二月二十三日から天平十四年(
七四二
)四月二十四日の間
[
天平十一年(
七三九
)四月三日歟
]
門部王
(高安王・櫻井王の兄弟
歟
)
大原眞人
高安王と同時に賜姓か。
大原眞人
は、敏達天皇の孫
百濟王
の後裔。
『萬葉集』六巻一〇一三
『續日本紀』天平九年十二月壬戌
『續日本紀』天平十四年四月戊戌
『新撰姓氏録』左京皇別「大原眞人」
天平二十年(
七四八
)十月二十一日以前
[
天平十一年(
七三九
)四月三日歟
]
今城王
大原眞人
高安王と同時に賜姓か。
大原眞人
は、敏達天皇の孫
百濟王
の後裔。
『萬葉集』四巻五三七〜五四二
『寧樂遺文』下七四六
『新撰姓氏録』左京皇別「大原眞人」
天平十一年(
七三九
)十月以降
忍坂王
大原眞人
改名
大原眞人赤麻呂
大原眞人
は、敏達天皇の孫
百濟王
の後裔。
『萬葉集』八巻一五九四
『新撰姓氏録』左京皇別「大原眞人」
天平十二年(
七四〇
)九月五日
~前王
從五位下
甘南備眞人
甘南備眞人
は、敏達天皇の男子
難波王
の後裔。
『續日本紀』天平十二年九月己丑
『新撰姓氏録』左京皇別「甘南備眞人」
天平十九年(
七四七
)十月三日
[御方大野]
東宮少屬從八位上
賜姓を請願するが、「
大野
之父於淨御原朝廷【
天武天皇廷
】在皇子之列。而縁微過遂被廢退。朕【
聖武天皇
】甚哀憐。所以不賜其姓也」として、姓を賜わることなし。
御方宿禰廣名
の近親か。
甲能
[氏]は、御方大野の後裔。
『續日本紀』天平十九年十月乙巳
『新撰姓氏録』左京皇別下「甲能」
天平十九年(
七四七
)十一月十七日
高橋王
佐保眞人
『續日本紀』天平十九年十一月己亥
天平勝寶三年(
七五一
)正月二十七日
大井王
正五位下
奈良眞人
『續日本紀』天平勝寶三年正月辛亥
天平勝寶三年(
七五一
)正月二十七日
垂水王
無位
三室王
垂水王の男子
三影王
日根王
名邊王
垂水王の甥
廬原王
無位
安曇王
三笠王
對馬王
物部王
枚野王
イ
牧野王
廬原王の男子
奈羅王
小倉王
廬原王の孫
猪名部王
無位
大湯座王
堤王
菟原王
三上王
野原王
礪波王
猪名部王の男子
三嶋眞人
三島眞人
は、舒明天皇の男子
賀陽王
の後裔。
大同五年(
八一〇
)四月十一日に六十三歳で卒去した
三嶋眞人名繼
は、逆算すると七四八年(天平二十年)生であるので、この時に賜姓されたものと推定される。
『續日本紀』天平勝寶三年正月辛亥
『新撰姓氏録』左京皇別「三島眞人」
『日本紀略』弘仁元年四月庚辰
天平勝寶三年(
七五一
)正月二十七日
御船王
無位
大友親王の曾孫。
葛野王の孫。
池邊王の男子。
淡海眞人
淡海眞人
は、天智天皇の男子
大友王
の後裔。
『續日本紀』天平勝寶三年正月辛亥
『新撰姓氏録』左京皇別「淡海眞人」
天平勝寶三年(
七五一
)正月二十七日
等美王
無位
内眞人
『續日本紀』天平勝寶三年正月辛亥
天平勝寶三年(
七五一
)正月二十七日
壬生王
無位
岡屋王
美和眞人
(神眞人)
『續日本紀』天平勝寶三年正月辛亥
天平勝寶三年(
七五一
)正月二十七日
C水王
無位
三狩王
清水王の男子
海上眞人
海上眞人
は、敏達天皇の孫
百濟王
の後裔。
『續日本紀』天平勝寶三年正月辛亥
『新撰姓氏録』左京皇別「海上眞人」
天平勝寶三年(
七五一
)正月二十七日
田部王
春日眞人
春日眞人
は、敏達天皇の男子
春日王
の後裔。
『續日本紀』天平勝寶三年正月辛亥
『新撰姓氏録』右京皇別「春日眞人」
天平勝寶三年(
七五一
)正月二十七日
文成王
甘南備眞人
甘南備眞人
は、敏達天皇の男子
難波王
の後裔。
『續日本紀』天平勝寶三年正月辛亥
『新撰姓氏録』左京皇別「甘南備眞人」
天平勝寶三年(
七五一
)正月二十七日
平群王
常陸王
志紀眞人
『續日本紀』天平勝寶三年正月辛亥
天平勝寶三年(
七五一
)十月七日
伊香王
從五位上
高城王
伊香王の男子
池上王
無位
甘南備眞人
甘南備眞人
は、敏達天皇の男子
難波王
の後裔。
『續日本紀』天平勝寶三年十月丙辰
『新撰姓氏録』左京皇別「甘南備眞人」
天平勝寶四年(
七五二
)九月二十二日(
イ
八月二十三日、九月七日
)
智努王
(
知努王
)
從三位
長親王の[三]男。
等
文室眞人
智努王の男女も同時に賜姓か。
子孫は、
三諸朝臣
、ついで
三山朝臣
、さらに
文室朝臣
を賜姓される。
『續日本紀』天平勝寶四年九月乙丑
『公卿補任』天平勝寶四年
『藥師寺佛足石記』「釈迦牟尼佛跡圖」
天平勝寶四年(
七五二
)[九月「七日」]
大市王
長親王の七男
文室眞人
智努王と同時に賜姓か。
大市王の男女も同時に賜姓か。
文室眞人
は、天武天皇の男子
長王
の後裔。
『續日本紀』寶龜十一年十一月戊子
『公卿補任』天平勝寶四年
『新撰姓氏録』右京皇別「文室眞人」
天平勝寶六年(
七五四
)閏十月十九日
秋篠王
從五位下
繼成王
秋篠王の男子
濱名王
船城王
愛智王
秋篠王の「姪」
丘基眞人
天平勝寶七年(
七五五
)四月十八日、改賜姓
豐國眞人
豐國眞人
は、敏達天皇の孫
百濟王
の後裔。
『續日本紀』天平勝寶六年閏十月庚戌
『新撰姓氏録』左京皇別「豐國眞人」
天平勝寶六年(
七五四
)十二月二十五日
多米王
高額眞人
高額眞人
は、敏達天皇の男子
春日王
の後裔。
『續日本紀』天平勝寶六年十二月乙卯
『新撰姓氏録』右京皇別「高額眞人」
天平勝寶七歳(
七五五
)六月二十四日
和氣王
細川王
(三原王の男子)
岡眞人
岡眞人
は、天武天皇の男子
舍人王
の後裔。天平寶字二年(
七五九
)、和氣王は復屬籍。
『續日本紀』天平勝寶七年六月壬子
『新撰姓氏録』左京皇別「岡眞人」
天平勝寶九歳(
七五七
)正月九日
石津王
從五位下
藤原朝臣
藤原朝臣仲麻呂
の子となる。
『續日本紀』天平寶字三年六月庚戌(
十六日
)に初見の
仲眞人石伴
と同一人か。
『續日本紀』天平寶字元年正月戊午
天平勝寶九歳(
七五七
)八月三日
鹽燒王
新田部親王の一男。
氷上眞人
氷上眞人
は、天武天皇の男子
新田部王
の後裔。
『公卿補任』天平勝寶九年
『新撰姓氏録』左京皇別「氷上眞人」
天平勝寶九歳(
七五七
)七月五日から天平寶字四年(
七六〇
)正月十六日までの間
[天平寶字元年(
七五七
)八月歟]
山背王
長屋王の男子。
藤原朝臣
藤原朝臣弟貞
と改名。
後裔は
永原朝臣
を賜姓される。
永原朝臣
は、天武天皇の男子
高市王
の後裔。
『續日本紀』天平寶字元年七月辛亥
『續日本紀』天平寶字四年正月戊寅
『公卿補任』天平勝寶九年
『新撰姓氏録』左京皇別上「永原朝臣」
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自天平寶字元年 至天應二年
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更新日時 : 2010.05.26.
公開日時 : 2000.08.22.
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