前頁 「 櫻 [櫻井B]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[櫻井C]

フレームなし

工事中

櫻井王
 のち大原眞人櫻井
 
【出自】
 彦仁皇子(敏達天皇の男子)の後裔。
 大原眞人の祖、百濟王(彦仁皇子の男子)の子孫であると考えられる。
 父は百濟王の男子であると考えられる
河内王か。
 高安王門部王の兄弟か。
『日本高僧傳要文抄』所引『音石山大僧都傳』
和上、諱明詮、俗姓大原氏、左京人。彦人皇子之後也。祖彈正尹從四位下櫻井王、天平十一年賜姓、爲大原氏。
『日本古代人名辭典』第三巻「櫻井王」は、『皇胤紹運録』に基づいて、「天武天皇曾孫。長親王の孫。川内王の男」とする。「高安王」を參照せよ。
『万葉集歌人事典』「大原真人桜井」には、「皇胤紹運録によると長皇子の孫。河内王の子。高安王の弟にあたる。大原真人今城の父か」とある。
 
【經歴】
櫻井王
和銅七年(七一四)正月五日、無位より從五位下に敍される。
『續日本紀』和銅七年正月甲子
[授]无位櫻井王・大伴王・佐爲王、並從五位下。
養老五年(七二一)正月五日、從五位下より從五位上に昇敍。
『續日本紀』養老五年正月壬子
[授]從五位下櫻井王・佐爲王並從五位上。
養老五年(七二一)九月十一日、井上内親王を齋内親王と爲し、北池邊新王造宮に移したとき、後輿長を勤仕。
『政事要略』廿四所引『官曹事類』
~龜元年(七二四)二月二十二日、從五位上より正五位下に昇敍。
『續日本紀』~龜元年二月壬子
[授]從五位上佐爲王・櫻井王並正五位下。
~龜六年(七二九)三月四日、正五位下より正五位上に昇敍。
『續日本紀』天平元年三月甲午
[授]正五位下櫻井王正五位上。
天平三年(七三一)正月二十七日、正五位上より從四位下に昇敍。
『續日本紀』天平三年正月丙子
[授]正五位上櫻井王從四位下。
遠江守に任じられる。
『萬葉集』第八卷 第一六一四歌
大原眞人櫻井
天平十一年(七三九)[四月三日歟]、大原眞人を賜姓される。
『日本高僧傳要文抄』所引『音石山大僧都傳』に「和上明詮 ・・・・・ 祖彈正尹從四位下櫻井王。天平十一年賜姓、爲大原氏」とあり、高安王らと同時に賜姓されたと考えられる。
佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考證篇 第一、二〇一頁
天平十六年(七四四)二月二日までに大藏卿に任じられる。
天平十六年(七四四)二月二日、恭仁宮留守となる。時に大藏卿卿從四位下。
『續日本紀』天平十六年二月丙申
以太政官事從二位鈴鹿王、木工頭從五位下小田王、兵部卿從四位上大伴宿禰牛養、大藏卿卿從四位下大原眞人櫻井、大輔正五位上穗積宿禰老五人、爲恭仁宮留守。
彈正尹に任じられる。
『日本高僧傳要文抄』所引『音石山大僧都傳』
 
工事中【孫】
明詮
「音石山大僧都」
 
工事中【逸事等】
聖武天皇の代、「風流侍從」と稱された。
『藤原家傳』下(『寧樂遺文』下 八八五)
 
工事中 【著述等】
『萬葉集』第八卷 第一六一四歌
『萬葉集』第廿卷 第四四七八歌
『万葉集歌人事典』「大原真人桜井」に、「歌風」として、「中国文学の知識や古歌に対する知識の豊かさがうかがわれ、風流侍従(武智麻呂伝)にふさわしい歌風」とある。
 
【参考】
 工事中
 
【文獻等】
竹内理三/山田英雄/平野邦雄 『日本古代人名辭典』第三巻 858頁上中「櫻井王」
大久間喜一郎・森淳司・針原孝之 編『万葉集歌人事典』(東京、雄山閣、新装版 平成四年(一九九二)一月)95頁下「大原真人桜井(おおはらのまひとさくらい)
佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考證篇 第一(東京、吉川弘文館、昭和五十六年(一九八一)十二月)二〇一〜二〇二頁
久曾神昇「遠江守桜井王」『愛知大学総合郷土研究所紀要』21号


 
次頁 「 櫻 [櫻井D]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 あ 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


公開日時: 2011.08.03.

Copyright: Ahmadjan 2011.8 - All rights reserved.