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『日本紀略』天平勝寶六年閏十月庚戌には「船代王」とある。 |
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船城は正六位上に敍されているが、「選敍令」によると、五世王の子(嫡子)は正六位上に敍される。これによると、船城は六世であると推測することも可能であるが、船城の賜姓は、臣籍降下後のことと考えられる。よって、船城の敍位は、五世王の子(嫡子)としての蔭位によるものではなかった、と考えられる。船城の父 秋篠は、百濟王の曾孫であると推測されるので、船城は百濟王の玄孫である可能性が高い。 |
船城王 | ||||
*丘基眞人船城 | ||||
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天平勝寶六年(七五四)閏十月十九日、丘基眞人を賜姓される。
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豐國眞人船城 | ||||
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天平勝寶七歳(七五五)四月十八日に丘基眞人から あらためて豐國眞人を賜姓されたと考えられる。
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正六位上に敍される。 | |||
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寶龜十一年(七八〇)正月七日、正六位上から從五位下に昇敍。
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寶龜十一年(七八〇)三月十七日、大藏少輔に任じられる。
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竹内理三/山田英雄/平野邦雄編 『日本古代人名辭典』第五卷、1209頁下「豐國眞人船城」 |
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佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考證篇 第一(吉川弘文館、昭和五十六年(一九八一)十二月第一刷) 二〇五〜二〇六頁 |
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