兼躬王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[兼躬]

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兼躬王
 
 伊勢奉幣の使王代
 
 中原朝臣賢長源朝臣兼躬)[河越兵庫頭]の作名。
中原朝臣賢長は、「兼時王」「兼通王」「久通王」の作名でも伊勢使王代を勤仕。
 
【經歴】
貞享四年(一六八七)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『季連宿禰記』貞享四年四季日記 貞享四年九月十一日(丙戌)
今日辰刻例幣發遣陣儀也。・・・・・ 此間外記進小庭、申使王御馬之事(卜串之事近代/無及沙汰)。・・・・・
幣使
 大中臣景忠卿(祭主)
 忌部代御藏清房 作名正六位上忌部【齋部】宿禰親正
 使王代兵庫助中原賢長 作名正六位下兼躬王
 卜部毎度不參向。
一、幣使忌部・使王等被載 宣命旨作名也。正六位上齋部宿祢親正、
 正六位下兼躬王之由、後日尋大内記如此被示之。
『季連宿禰記』貞享四年自五月到極月日記 貞享四年九月十一日(丙戌)
今日辰刻例幣發遣陣儀也。・・・・・ 此間外記進小庭、申使王御馬之事(卜串近代/不及沙汰)。・・・・・
幣使 中臣(祭主三位景忠卿) 忌部代御藏清房
使王代兵庫助中原賢長 卜部(不參向勢州)。
 幣使忌部・使王等被載 宣命旨作名也。忌部正六位
 上齋部宿祢親正、使王正六位下兼躬王之由、後日尋
 大内記之處、如此所被示也。
河越家記録『例幣使參向日記』享保十一年八月十四日
貞享四年九月十一日之宣命ニハ兼躬被載候(予實名也)。
河越家記録『例幣使參向記』貞享四年九月十一日
使王 賢長(兼字長男兼躬/今年初度參向)
『左官掌氏辰記(貞享四大嘗會)』貞享四年十一月六日辛巳條に、貞享四年(一六八七)十一月六日の大嘗會由奉幣の伊勢使王代として見えるが、宣命案には「兼字王」とある。
河越家記録『例幣使參向記』元祿五年九月十一日條に、元祿五年(一六九二)九月十一日の例幣の伊勢使王代として見えるが、「兼時王」とあるべきものであろう。


 
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公開日時: 2021.05.03.

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