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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[孚彦]

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孚彦王 たかひこ
 朝香宮(繼嗣)
 のち朝香孚彦 あさか たかひこ
 
【出自】
 
鳩彦王[朝香宮]の一男。
 
【母】
 允子内親王
 鳩彦王妃
 明治天皇の八女。
 
【經歴】
大正元年(一九一二)十月八日、誕生。
『法令全書』大正元年十月 告示「宮内省告示第十三號(官報號外)
十月八日午前五時五分鳩彦王妃殿下分娩王男子誕生セラル
    大正元年十月八日                 宮内大臣 伯爵渡邊千秋
孚彦王
大正元年(一九一二)十月十四日、「孚彦(タカヒコ)」と命名。
『法令全書』大正元年十月 告示「宮内省告示第十五號(官報號外)
十月八日午前五時五分誕生セラレタル鳩彦王殿下ノ王男子名ヲ孚彦タカヒコト命セラル

    大正元年十月十四日
                            宮内大臣 伯爵渡邊千秋
昭和十三年(一九三八)十二月十六日、藤堂高紹の五女 千賀子と結婚。
『官報』昭和十三年十二月十七日、宮内省告示第三十四號
『法令全書』昭和十三年十二月 告示
◎宮内省告示第三十四號
          (官報 十二月十七日)
孚彦王殿下本日正三位伯爵藤堂高紹五女千
賀子ト結婚セラル

 昭和十三年十二月十六日
        宮内大臣 松平 恒雄
陸軍中佐
朝香孚彦
昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる
『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十六号
 恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
 昭和二十二年十月十三日
     宮内府長官 松平 慶民
平成六年(一九九四)五月五日、歿。八十一歳。
 
【配偶】
 千賀子 ちかこ
 藤堂高紹[津]の五女。
 大正十年(一九二一)五月三日生。
 昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる。
 ◎『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示「宮内府告示第十六號」
 昭和二十七年(一九五二)十二月六日歿。
 
【子女】
 ○
冨久子女王 のち朝香冨久子、南部冨久子、鈴木冨久子
 □ 誠彦王 のち朝香誠彦
 ○ 美乃子女王 のち朝香美乃子、坂本美乃子
 
【逸事等】
戰後、家族全員、カトリック・カルメル會に入信したという。
昭和六十三年(一九八八)九月二十一日、昭和天皇への病氣見舞いの記帳ため自ら自動車を運轉して外出、道に迷い、家族から「行方不明」と警察署に届出が出された。孚彦は、翌二十二日深夜零時過、無事に保護された。
 
【文獻等】
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 二四頁
「日本の名家『旧宮家はいま』3」朝香家(『週刊読売』一九八八年五月二十九日、一三四〜一三九頁)


 
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公開日時: 2011.12.24.

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