冨久子女王, 朝香冨久子, 鈴木冨久子


前頁 「 富 [富貴C]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[冨久子]

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工事中

冨久子女王 ふくこ
 
 のち 朝香冨久子 あさか ふくこ
南部冨久子 なんぶ ふくこ
朝香冨久子
鈴木冨久子 すずき ふくこ
 
【筆名】
 
南部ふう
 美苑ふう びえん ふう
 
【出自】
 鳩彦王[朝香宮]の孫。
 孚彦王[朝香宮繼嗣]の一女。
 
【母】
 千賀子
 孚彦王妃
 藤堂高紹の五女。
 のち朝香千賀子
 
【經歴】
昭和十六年(一九四一)十二月十一日、誕生。
『官報』第四四八〇號 昭和十六年十二月十二日 金曜日「告示」
◎宮内省告示第三十五號
孚彦王妃千賀子殿下本日午前零時三十分東
京府東京市芝區高輪南町十七番地高輪南町
御用邸ニ於テ御分娩女王御誕生アラセラル
 昭和十六年十二月十一日
        宮内大臣 松平 恒雄
冨久子女王
昭和十六年(一九四一)十二月十七日、命名。
『官報』第四四八五號 昭和十六年十二月十八日 木曜日「告示」
◎宮内省告示第三十七號
本月十一日誕生セラレタル孚彦王殿下ノ第
一女子名ヲ冨久子フクコト命セラル
 昭和十六年十二月十七日
        宮内大臣 松平 恒雄
朝香冨久子
昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる
『官報』第6226号 昭和22年10月14日「告示」
◎宮内府告示第十六号
 恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
 昭和二十二年十月十三日
     宮内府長官 松平 慶民
女子美術大學油繪科を卒業。
南部冨久子
昭和三十八年(一九六三)四月、南部利久[盛岡]と結婚。
昭和四十一年(一九六六)十月、東京日本橋通の此花畫廊でペン畫の個展を開く。
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」 113
朝香冨久子
昭和四十二年(一九六七)七月、南部利久と協議離婚。
鈴木冨久子
昭和五十年(一九七五)三月、鈴木克久と結婚。
「「SF作家」になったお妃候補「朝香冨久子さん」」(『週刊新潮』二〇〇九年四月二日号)
「彼女が父と再婚したのは彼女からの猛烈なアタックの結果なんですよ」
 というのは、富久子さんの義理の娘さん。
「2人は太平洋美術会で知り合い、結婚するまで、彼女は毎日のように電話をかけ、手紙を送っていました。ちょっと変わった人でした。基本的には優しい人だと思うのですが、喜怒哀楽のツボがずれていて、よくわからないところで怒ったりすることがありました。人が何と言おうと気にせず我が道を行くという人でしたね。・・・・・」
平成二十一年(二〇〇九)二月十九日、死去。
「「SF作家」になったお妃候補「朝香冨久子さん」」(『週刊新潮』二〇〇九年四月二日号)
 そんな富久子さんだったが、この10年ほどは体調を崩していたという。
「ほとんど寝たきりでしたが今年の2月19日、心不全で亡くなりました。朝香宮家の本家には、両陛下と秋篠宮さまから葬儀はいつやるのか、お気持ちを添えたいという電話をいただいたそうですが、“家族だけでひっそりとやるつもりです”と固辞いたしました」
 享年67。
 
【配偶】
 南部利久
 南部利英(一條實輝の三男。もと一條實英。南部利淳の養子。伯爵)の一男。
 昭和七年(一九三二)二月二日生。
 ラサ工業に勤務。
 昭和五十五年(一九八〇)一月六日、死去。
 
 鈴木克久
 洋畫家。太平洋美術會名譽會長。
 昭和四年(一九二九)二月二日、茨城県久慈郡太子町で出生。
 日清製粉に勤務。
 昭和三十六年(一九六一)、太平洋美術會に入會。
 平成十一年(一九九九)、太平洋美術會副會長となる。
 平成十五年(二〇〇三)十一月、太平洋美術會會長となる。
 平成二十年(二〇〇八)十二月、太平洋美術會名譽會長となる。
 平成二十六年(二〇一四)七月二日、死去。
太平洋美術会「鈴木克久 作品 | 太平洋美術会」
https://www.taiheiyobijutu.or.jp/members/111/works
太平洋美術会「沿革 | 太平洋美術会」
https://www.taiheiyobijutu.or.jp/history
 
【子女】
 鈴木久仁子
 鈴木克久・冨久子の一女。
「お母さん 元皇族は幸せですか?」『週刊女性自身』第三八巻第二〇号(一九九五年五月)
 
工事中SF作家、美苑ふう
日本における女流SF作家の第一世代。
筆名「南部ふう」のち「美苑ふう(びえん ふう)
SF同人誌『宇宙塵』の初期同人で、「セミプロ作家」として活躍。
「美苑ふう」の筆名は、第一次インドシナ戰爭の激戰地、ディエンビエンフー(奠邊府 Điện Biên Phủ)に因む。
映畫の試寫會で映畫館内で『SFマガジン』誌を讀んでいたところを、日本のSF第一世代作家である豊田有恒と平井和正に聲をかけられ、彼らの紹介で『宇宙塵』誌に參加した。
豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』徳間書店、一九七九年十一月。再版(徳間文庫)、一九八六年九月
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」 110111
SF作家としての才能は認められていたが、型破りの言動により、『宇宙塵』誌同人から辟易されることがあった。
豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』徳間書店、一九七九年十一月。再版(徳間文庫)、一九八六年九月
その女性(特に名を秘す)は、SF作家としての才能は、ありました。しかし、SF仲間のあいだでの評価は、かならずしも芳しいものではありませんでした。
豊田有恒『日本アニメ誕生』勉誠出版、二〇二〇年八月
 型破りな人で、ユニークな言動から、SF、アニメファンの世界では、有名人だった。実は彼女、朝香宮家という皇族として生まれたため、周囲に気配りしないため、誤解を招きやすいのだが、きわめて純粋な人だった。つまり、お姫さま育ちだったので、周りを気にしないのである。
 そのため、ぼくは、変わった人をナンパして連れてきたと、SF同人誌〈宇宙塵〉の仲間から文句を言われたこともある。
巽孝之「「王妃よりはサイボーグになりたい」――美苑ふう追悼――」
 一部ではトラブルメーカーとさえ囁かれた彼女ではあったが、別の方面では、わたしを含め、その創作中心に「好印象しかない」人々も多い。・・・・・
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」 112116
代表作「鳥蛇幻想譜」は、石川喬司、柴野拓美 編『日本SF・原点への招待 「宇宙塵」傑作選』U(講談社、一九七七年五月)に收録され、巽孝之に「伝奇ロマンの先駆とも言える傑作」と高く評價されている。
巽孝之「「王妃よりはサイボーグになりたい」――美苑ふう追悼――」
長澤唯史「日本SF史再構築に向けて――その現状と課題についての考察E」 SF Prologue Wave, 202283
https://prologuewave.club/archives/9437
『SFマガジン』で伴名練による連載がはじまり、また橋本輝幸も日本女性SFについてのコラムを発表すると予告している。この原稿を執筆中の20225月の段階で、伴名の連載は光波耀子、安岡由紀子、美苑ふうなど、『宇宙塵』の初期同人の女性作家に触れ、経歴と作品について詳細なデータを提供してくれている。いずれも『日本SF・原点への招待 「宇宙塵」傑作選』(T・U)に作品が収録されているが、ありきたりのSF的ガジェットやアイデアに依存しない独自の作品世界を築き上げた、オリジナリティあふれる作家たちばかりだ。安岡のファンタジーとホラーにギリシャ神話をリミックスした斬新な作風の「ママ」や、アステカ神話を現代的想像力で荘厳なファンタジーに再生させた美苑の「鳥蛇幻想譜」など、今読んでもその完成度には驚くほかない。その作品世界や活動の全体像については、これからさらに掘り下げと分析が待たれる。
博士課程で日本SFを研究 - シカゴ大学のブライアン・ホワイトさんの場合|Rikka Zine|note
https://note.com/rikkazine/n/n7b969a279c00
個人的には、美苑ふうにはかなり興味を抱いています。元皇族で、筆名をベトナム戦争のディエンビエンフーの戦いから取ったらしいという(笑)すごく興味をそそる逸話の持ち主です。彼女に関して見つけられたリソースはすべて読みました。だいたい巽孝之先生にいただいたものです。その中で私が興奮したのは、写真やコンベンションレポートのほとんどにおいて、女性の参加も確認できたことです。「いた!」って。男性の大群の中にも女性は存在していたのです。SFコミュニティは完全に男子校状態で、男による男のための小説が集まっていたことはまちがいありません。私は、これは福島正美が推進したSFが知的であることを強調したムーヴメントと関係しているのではないかと思っています。言うまでもなく不幸なことでした。
『宇宙塵』誌 掲載作品
01 南部ふう「最後の森」(『宇宙塵』No.70、一九六三年八月)
02 南部ふう「春になったら……」(『宇宙塵』No.74、一九六三年十二月)
03 南部ふう「マーヤイド」(『宇宙塵』No.107、一九六六年十一月)
04 美苑ふう「ジェロニモ異聞」(『宇宙塵』No.113、一九六七年六月)
05 美苑ふう「リング幻想譜」(『宇宙塵』No.120、一九六八年二月)
06 美苑ふう「鳥蛇幻想譜」(『宇宙塵』No.124、一九六八年六月)
07 美苑ふう「アプコリミット物語」(『宇宙塵』No.130、一九六九年一月)
08 美苑ふう「雨期」(上)(『宇宙塵』No.156、一九七一年七月)
美苑ふう「雨期」(下)(『宇宙塵』No.157、一九七一年八月)
美苑ふう「ファン・ジャーナル」(21)〔随筆〕(『宇宙塵』No.166、一九七二年七月)
 いったいぜんたいなんでSFなどというものに興味をしめしだしたのかわからない。しかし、母が文学少女タイプで父親がマッドサイエンティスト型だから遺伝的なものが多分にふくまれているに違いない。
 小学校の時から銀河系の直径は何万光年で、地球に一番近い恒星はアルファ・ケンタウリなどとやっていた。むろん火星人の存在を信じていた。
09 美苑ふう「聖母マリアの宝石たち」(『宇宙塵』No.1731973 No.2、一九七三年十二月)
10 美苑ふう「星の墓守り」(『宇宙塵』No.1841983 No.2、一九八三年)
宇宙塵 編『塵も積もれば 宇宙塵40年史』東京、出版芸術社、平成九年十一月
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」
10回『宇宙塵』掲載作品コンテスト(第109号〜160号)で、作品「雨期」が第11位に入る。
宇宙塵 編『塵も積もれば 宇宙塵40年史』(出版芸術社、平成九年十一月)193頁
12回『宇宙塵』掲載作品コンテスト(第172号〜181号。對象作品三七篇、總票數三三三票、五篇以内連記)で、作品「聖母マリアの宝石たち」が第10位に入る。
柴野拓美「解説(その1)」『破局のおすすめ 新「宇宙塵」SF傑作選T』(河出文庫)(河出書房新社、昭和六十二年十二月)
宇宙塵 編『塵も積もれば 宇宙塵40年史』(出版芸術社、平成九年十一月)194頁
同人誌『宇宙気流』 掲載作品
南部ふう「清夜」〔SF小説〕(『宇宙気流』第6号、一九六三年三月)
南部ふう「光瀬龍を理解する三つのカギ ― 未来史年表にそえて」〔評論〕(『宇宙気流』第46号、一九六七年一−二月)
美苑ふう「サイボーグ随想記」〔随筆〕(『宇宙気流』第53号、一九六八年一月)
美苑ふう「雨中気流年表 付録資料 (1968) (サイボーグ随想記)」〔随筆〕(『宇宙気流』第92号、二〇一九年七月)
ほか
森田裕「宇宙気流のページ」
http://neelsebub.com/Ukiryu/ukiryu.html
 「執筆者一覧」
 http://neelsebub.com/Ukiryu/shippitsusha.php?s=penfuri
美苑ふう企画・編集『光瀬龍 未来史年表』(『SF PARADOX 6Vol.3, No.1 付録。昭和438月)
SFファン同人誌『サイレント・スター』 掲載作品
「異聞・シッティングブル伝」『サイレント・スター』第1823号、一九六八年
「終わりの始まり」『サイレント・スター』第24号、一九六九年
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」
瀬戸内地方のSFファン同人誌『イマジニア』 掲載作品
「ある恋の物語」『イマジニア』第4号、一九六八年
「沼」『イマジニア』第6号、一九六九年
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」
SFファン同人誌『小惑星』 掲載作品
「神話随想」『小惑星』第4号、一九六九年
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」
九州のSFファン同人誌『てんたくるず』 掲載作品
「地獄のアナスタシア」『てんたくるず』第59号、一九六九年
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」
中學生 山根聰彦を代表とする「美苑ふう親衛隊」によるファン同人誌『フウ圧』が出されたという(一九六九年四月以前)。
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」 116
 
【畫業】
小學校三年生の時から、有島生馬に繪畫指導を受ける。
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」 113
イエズス會士 アロイジオ荻原晃 Aloysius Akira Ogihara(カトリック廣島司ヘ區の第三代廣島使徒座代理)による兒童向けキリストヘ書籍の挿繪を作畫。
荻原晃 著、朝香富久子 絵『少年少女に ―聖人たちのお話し―』エンデルレ書店、昭和三十三年(一九五八)
『宇宙塵』誌に挿繪がたびたび掲載される。
同人誌『宇宙気流』第56号(一九六八年五月)の表紙を「美苑ふう」の名で作畫。
森田裕「宇宙気流のページ」
http://neelsebub.com/Ukiryu/ukiryu.html
 「宇宙気流表紙ギャラリー」
 http://neelsebub.com/Ukiryu/gallery.php
岡部寛之『聖男聖女』(宮川書房、一九六七年)のカットを「美苑ふう」の名で作畫。
 
【文獻等】
伴名練「戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡【第二回】光波耀子、安岡由紀子、美苑ふう――『宇宙塵』の熱き時代(後篇)」『SFマガジン』第六十三巻第三号、早川書房、二〇二二年六月、110117頁「“もと皇族”のまぼろしから逃れ、サイボーグに憧れた作家 ――美苑ふう」
巽孝之「「王妃よりはサイボーグになりたい」――美苑ふう追悼――」『科学魔界』(SF同人誌)51号、二〇〇九年七月

平成新修 旧華族家系大成 上巻』二四頁
平成新修 旧華族家系大成 下巻』二八八〜二八九頁
『令和新修旧華族家系大成』上、27頁「朝香誠彥(アサカトモヒコ)」
「なんと! SF作家になった明治天皇の曾孫 朝香冨久子さん(27)」(『ヤングレディ』一九六九年四月十四日号「女が“温床”を飛び出したあとで……」)
「日本の名家『旧宮家はいま』3」朝香家(『週刊読売』一九八八年五月二十九日、一三八頁)
「「皇籍剥奪」風雪五十年抄」(『週刊新潮』第四十巻第二号(一月十二日号)、一九九五年一月) 五二頁
「「SF作家」になったお妃候補「朝香冨久子さん」」(『週刊新潮』二〇〇九年四月二日号「天皇皇后両陛下「ご成婚50年」秘話」)


 
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更新日時:2023.03.30.
公開日時:2023.02.03.

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