朝香宮鳩彦王
|
|
|
角田スガ 知恩院宮諸大夫從五位下加賀守角田俊コの四女。
|
● |
明治二十年(一八八七)十月二日十二時、生誕。
| |||||||||
鳩彦王 | ||||||||||
● |
明治二十年(一八八七)十月九日、命名屆出。 | |||||||||
● |
明治二十七年(一八九四)三月、學習院初等科に入學。
| |||||||||
● |
明治三十三年(一九〇〇)七月十五日、學習院初等科を卒業。 | |||||||||
● |
明治三十三年(一九〇〇)七月、學習院中等科に入學。 | |||||||||
● |
明治三十四年(一九〇一)八月、學習院中等科を退學。 | |||||||||
● |
明治三十四年(一九〇一)九月一日、東京地方幼年學校に入學。 | |||||||||
● |
明治三十七年(一九〇四)七月十日、東京地方幼年學校を卒業。 | |||||||||
● |
明治三十七年(一九〇四)九月一日、陸軍中央幼年學校に入學。 | |||||||||
鳩彦王[朝香宮] | ||||||||||
● |
明治三十九年(一九〇六)三月三十一日(イ三十日)、「朝香(あさか)宮」の稱號を賜わり、朝香宮家を創設。賄料を下賜される。二十歳。
| |||||||||
● |
明治三十九年(一九〇六)五月三十日、陸軍中央幼年學校を卒業。 | |||||||||
● |
明治三十九年(一九〇六)六月五日、近衞歩兵第二聯隊に配屬。 | |||||||||
● |
明治三十九年(一九〇六)十二月一日、陸軍士官學校に入學。 | |||||||||
● |
明治四十年(一九〇七)十一月三日、勲一等に敍され、旭日桐花大綬章を授けられる。
| |||||||||
● |
明治四十一年(一九〇八)五月七日、陸軍士官學校を卒業(第二十期)。
| |||||||||
● |
明治四十一年(一九〇八)十二月二十五日、陸軍歩兵少尉に任じられ、近衞歩兵第二聯隊附に補される。 | |||||||||
● |
高輪西臺町邸に轉居。
| |||||||||
● |
明治四十三年(一九一〇)四月二十九日、允子内親王(明治天皇の八女)との結婚の儀が勅許される。
| |||||||||
● |
明治四十三年(一九一〇)五月六日、允子内親王と結婚。
| |||||||||
● |
明治四十三年(一九一〇)十二月二十五日、陸軍歩兵中尉に任じられる。 | |||||||||
● |
明治四十四年(一九一一)十二月十二日、陸軍大學校に入校する。 | |||||||||
● |
大正二年(一九一三)八月三十一日、陸軍歩兵大尉に任じられ、近衞歩兵第二聯隊中隊長に補される。 | |||||||||
● |
大正三年(一九一四)十一月二十七日、陸軍大學校を卒業。 | |||||||||
● |
大正三年(一九一四)十二月四日、歩兵第六十一聯隊中隊長に補される。 | |||||||||
● |
大正四年(一九一五)十二月二十二日、本職を免じられ、近衞歩兵第三聯隊附を仰せ付けられる。 | |||||||||
● |
大正五年(一九一六)十一月二十三日、近衞歩兵第三聯隊附を免じられ、參謀本部附を仰せ付けられる。 | |||||||||
● |
大正六年(一九一七)十月三十一日、大勲位に敍され、菊花大綬章を授けられる。 | |||||||||
● |
大正七年(一九一八)七月二十四日、陸軍歩兵少佐に任じられ、參謀本部附を免じられ、歩兵第一聯隊大隊長に補される。 | |||||||||
● |
大正九年(一九二〇)一月二十一日、本職を免じられ、陸軍大學校附を仰せ付けられる。 | |||||||||
● |
大正十一年(一九二二)八月十五日、陸軍歩兵中佐に任じられる。 | |||||||||
● |
大正十一年(一九二二)十月三十日、「御見學」のため、「朝伯」の假名で渡佛。 | |||||||||
● |
大正十二年(一九二三)四月一日、パリ郊外にて、成久王[北白川宮]の運轉する自動車に同乘中、自動車事故により、手足に重傷を負う(成久王は即死)。
| |||||||||
● |
大正十四年(一九二五)八月七日、陸軍歩兵大佐に任じられる。 | |||||||||
● |
大正十四年(一九二五)十二月十一日、妃と共に歸朝。
| |||||||||
● |
大正十五年(一九二六)六月三日、陸軍大學校附を免じられ、陸軍大學校兵學ヘ官に補される。 | |||||||||
● |
昭和三年(一九二八)十一月十日、大禮記念章を授與される。 | |||||||||
● |
昭和四年(一九二九)十二月十日、陸軍少將に任じられる。 | |||||||||
● |
昭和六年(一九三一)十二月二十四日、帝都復興記念章を授與される(昭和五年(一九三〇)十二月五日付)。
| |||||||||
● |
昭和七年(一九三二)二月二十九日、歩兵第一旅團長に補される。 | |||||||||
● |
昭和八年(一九三三)八月一日、陸軍中將に任じられ、近衞師團長に補される。 | |||||||||
● |
昭和十年(一九三五)十二月二日、近衞師團長を免じられ、軍事參議官に補される。
| |||||||||
● |
昭和十二年(一九三七)十二月二日、上海派遣軍司令官に補される。 | |||||||||
● |
昭和十三年(一九三八)三月十四日、軍事參議官に補される。
| |||||||||
● |
昭和九年(一九三四)四月二十九日附で、昭和六年乃至九年事變の功により金杯一組を賜わり、昭和六年乃至九年事變從軍記章を授與される。 | |||||||||
● |
昭和十四年(一九三九)八月一日、陸軍大將に任じられる。
| |||||||||
● |
昭和十五年(一九四〇)八月十五日、紀元二千六百年祝典記念章を授與される。 | |||||||||
● |
昭和十五年(一九四〇)四月二十九日附で、支那事變に於ける功により、功一級に敍され、金鵄勲章並びに金一萬一千五百圓を下賜され、支那事變從軍記章を授與される。
| |||||||||
● |
昭和二十年(一九四五)八月十七日、南京へ出發し、支那派遣軍に終戰の勅命を傳え、二十日、復命。
| |||||||||
● |
昭和二十年(一九四五)十一月三十日、待命を仰せ付けられる。 | |||||||||
● |
昭和二十年(一九四五)十二月一日、豫備役を仰せ付けられる。 | |||||||||
● |
昭和二十年(一九四五)十二月六日、應~天皇陵以下、大阪府下の十六陵に差遣され。同月九日、歸京。 | |||||||||
● |
昭和二十一年(一九四六)六月十四日、勅令第三一九號陸軍武官官等表等が廢止される。 | |||||||||
朝香鳩彦 | ||||||||||
● |
昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十一條の規定により、皇族の身分を離れる。
| |||||||||
● |
昭和五十六年(一九八一)四月十二日、歿。九十三歳。 |
鳩彦王妃 明治天皇の八女。 |
● |
成久王[北白川宮]は、鳩彦王のことを、「何事にも平生御自分の心事を率直に御発言なさる御性癖あり」と評している。
| |||||||||||
● |
皇室會議において、しばしば質問を行った。
| |||||||||||
● |
「皇族親睦會」等では酒を飲むと酔払っては見苦しい樣を呈した。
| |||||||||||
● |
二・二六事件における鳩彦王の態度について、昭和天皇は「朝香宮は大義名分は仰せになるが、尖鋭化して居られて宜しくない」と述べている。
| |||||||||||
● |
昭和十九年(一九四四)七月、東條英機首相の參謀總長兼任を罷免すべく、宣仁親王[高松宮]、稔彦王[東久邇宮]と策動した。
| |||||||||||
● |
大東亞戰爭においては、「強硬な主戰論者」・「最も強硬論者」であり、本土決戰に備えた陸海軍統合(統帥一元化)を主張した。
|
● |
昭和十二年(一九三七)十二月七日、着任。
|
● |
現「東京都庭園美術館」 |
● |
「ゴルフの宮樣」の異名を持つ。埼玉縣朝霞市(もと朝霞村ほか)の「朝霞」という名は、ゴルフの東京倶楽部の朝霞コースにちなんで名付けられたが、これは、東京倶楽部の名譽總裁を務めていた鳩彦王[朝香宮]の稱號から採られ、「香」を「霞」に改めたものである。なお、朝霞コースは、昭和十六年(一九四一)、軍に徴用されて消滅した。 |
● |
『平成新修 旧華族家系大成 上巻』二四頁 |
● |
『昭和新修 華族家系大成 上巻』二〇頁 |
● |
飯沼守(陸軍少將・上海派遣軍参謀長21期)『飯沼守日記』(南京戦史編集委員会 編纂『南京戦史資料集』(財団法人偕行社、平成元年(一九八九)十一月)59〜260頁) |
● |
大給湛子『素顔の宮家 私が見たもうひとつの秘史』(PHP研究所、二〇〇九年十月) |
● |
広岡裕児『皇族』(読売新聞社、一九九八年八月第一刷) |
● |
青木淳子『パリの皇族モダニズム 領収書が明かす生活と経済感覚』(角川学芸出版、二〇一四年十二月) |
● |
佐藤朝泰「朝香家==わが国のゴルフ界黎明期の大恩人、鳩彦王」(佐藤朝泰『門閥 ── 旧華族階層の復権』(立風書房、一九八七年四月)第二章、四一〜四三頁) |
● |
「日本の名家『旧宮家はいま』3」朝香家(『週刊読売』一九八八年五月二十九日、一三四〜一三九頁) |
● |
『朝香宮邸のアール・デコ』(東京都文化振興会、昭和六十一年(一九八六)三月) |
● |
『東京都庭園美術館 Tokyo Metropolitan Teien Art Museum ── 建物とその歴史 ──』(東京都庭園美術館資料第1輯)(東京都港区白金台、財団法人東京都歴史文化財団、昭和五十八年(一九八三)十月) |
○ |
東京都庭園美術館 企画・編集『朝香宮のグランドツアー 東京都庭園美術館建物公開』(会期・会場:2010年12月11日〜2011年1月16日 東京都庭園美術館 主催) |
○ |
増田彰久 写真、藤森照信 文『アール・デコの館 旧朝香宮邸』(三省堂、一九八四年五月。新版:ちくま文庫、筑摩書房、一九九三年四月) |
● |
|
| |||
| |||
|