顕行王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[顯行]

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顯行王
 
 のち
顯綱王
 
【出自】
 顯廣王の長男。
前田本『日本帝皇系圖』附載「伯」系圖「顯廣王」の子
顯行王─┐
 ┌──┘
 └資教王
 
【經歴】
敍爵。
長寛三年(一一六五)正月二十三日から仁安二年(一一六七)正月二十四日までの間に、正親正に任じられる。
長寛三年(一一六五)正月二十三日に、正親正 顯廣王が~祇伯に任じられた。顯行王は、この時に、顯廣王に代わって正親正に任じられた可能性が高い。
仁安二年(一一六七)正月二十四日、告齋宮卜定伊勢使の使王を勤仕。時に正親正。
『顯廣王記』仁安二年正月廿四日癸亥
大~宮奉幣。被申齋宮卜定之由。上卿權中納言公保卿。行□【事】□□□【權左少】辨爲親。使、正親正顯行王、中臣權大祐俊宣、忌部朝幸、卜部□□□【權大副】□康【兼康】也。
『顯廣王記』仁安二年二月廿四日癸巳
大~宮伊勢幣。齋宮卜定之由。□卿權中納言公保卿。辨權右少辨爲親。使王正親正顯行王、中臣權大祐俊宣、忌部朝幸、卜部權大副兼康。
續史料大成本『伯家五代記』所收『顯廣王記』仁安二年正月廿四日
太~宮奉幣。被申齋宮卜定之由。・・・・・ 使、正親正顯行王、中臣權大祐俊宣、忌部ーー、卜部ーー。
仁安二年(一一六七)十一月十一日、六條院の一代一度大奉幣の伊勢使發遣に際し、正親正が行うべき王氏の氏務を、正親正顯行王から解き、王氏長者顯廣王に付すべき宣旨が下される。
『顯廣王記』仁安二年十一月十一日
一代一度大□□使也。上卿源大納言定房卿。行事頭辨信範朝臣也。伊世使、王資遠、中臣親ョ、忌部致貞、卜部伊岐宗信(初度)。・・・・・ 今日被下 宣旨云。正親正顯行解氏務、可付長者云々。此事不穩便。更以所不存也。王等參陣所訴申歟。近是外記使部助正骨張也。
仁安三年(一一六八)九月十八日、御禊行幸に參仕。時に從五位下。
『兵範記』仁安三年九月十八日丙子
  從四位上顯廣王
  從五位下顯行王
仁安三年(一一六八)九月十八日から承安三年(一一七三)正月五日までの間に、從五位上に叙される。
顕行王あらため顕綱王は、承安三年(一一七三)正月五日に從五位上に敍された弟 仲資王よりも上臈であるので、仲資王より以前に從五位上に敍されたと考えられる。
仁安三年(一一六八)九月から治承二年(一一七八)正月五日までの間に、顯綱王と改名したと考えられる。
『山槐記』治承二年正月五日條に「顯行」とあるが、これは、記主の藤原忠親[中山]が、顯行王が顯綱王と改名したことを知らなかったためであろう。
 
【子女】
資ヘ王
顯職王
延子女王 【高倉院の即位式の褰帳女王】
顯綱王の子女をも參照せよ)
 
【文獻等】
藤森馨『改訂増補 平安時代の宮廷祭祀と神祇官人』(東京、原書房、平成二十年(二〇〇八)十二月)
〔資料紹介〕高橋昌明、樋口健太郎「国立歴史民俗博物館所蔵『顕広王記』応保三年・長寛三年・仁安二年巻」『国立歴史民俗博物館研究報告』第一三九集、二〇〇八年三月、223〜224頁、註(3)
赤坂恒明「前田本『日本帝皇系図』について」(『埼玉学園大学紀要』人間学部篇 第十七号、二〇一七年十二月)
 http://id.nii.ac.jp/1354/00001113/
赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流』(日本史史料研究会 監修。東京、吉川弘文館、二〇二〇年一月)


 
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更新日時: 2021.04.18.
公開日時: 2020.05.05.


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