顕行王
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前田本『日本帝皇系圖』附載「伯」系圖「顯廣王」の子
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敍爵。 | |||||||||
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長寛三年(一一六五)正月二十三日から仁安二年(一一六七)正月二十四日までの間に、正親正に任じられる。
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仁安二年(一一六七)正月二十四日、告齋宮卜定伊勢使の使王を勤仕。時に正親正。
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仁安二年(一一六七)十一月十一日、六條院の一代一度大奉幣の伊勢使發遣に際し、正親正が行うべき王氏の氏務を、正親正顯行王から解き、王氏長者顯廣王に付すべき宣旨が下される。
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仁安三年(一一六八)九月十八日、御禊行幸に參仕。時に從五位下。
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仁安三年(一一六八)九月十八日から承安三年(一一七三)正月五日までの間に、從五位上に叙される。
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仁安三年(一一六八)九月から治承二年(一一七八)正月五日までの間に、顯綱王と改名したと考えられる。
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藤森馨『改訂増補 平安時代の宮廷祭祀と神祇官人』(東京、原書房、平成二十年(二〇〇八)十二月) |
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〔資料紹介〕高橋昌明、樋口健太郎「国立歴史民俗博物館所蔵『顕広王記』応保三年・長寛三年・仁安二年巻」『国立歴史民俗博物館研究報告』第一三九集、二〇〇八年三月、223〜224頁、註(3) |
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赤坂恒明「前田本『日本帝皇系図』について」(『埼玉学園大学紀要』人間学部篇 第十七号、二〇一七年十二月) http://id.nii.ac.jp/1354/00001113/ |
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赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流』(日本史史料研究会 監修。東京、吉川弘文館、二〇二〇年一月) |
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