雅望王
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元慶元年(八七七)十一月二十一日、大嘗會敍位において、無位から從四位下に敍される。
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侍從となる。 | |||||
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元慶五年(八八一)十二月二十七日、山階山陵使となり、陽成天皇の元服を告げるために天智天皇陵に參向。時に從四位下行侍從。
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元慶六年(八八二)六月廿六日、右相撲司に任じられる。時に從四位下行侍從。
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元慶六年(八八二)七月二十八日、右相撲司であったが病として參上せず。
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彈正大弼となる。 | |||||
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元慶八年(八八四)二月二十三日、光孝天皇即位敍位において、從四位下から從四位上に昇敍。時に彈正大弼。
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仁和二年(八八六)八月二十日、齋内親王入伊勢太~宮前驅となる。時に從四位上行彈正大弼。
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仁和三年(八八七)二月二日、美作權介を兼ねる。時に從四位上行彈正大弼。
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仁和三年(八八七)五月十三日、~祇伯となる。美作權介はもとの如し。
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仁和四年(八八八)十二月二十三日、伊勢奉幣使の使王として參宮。時に~祇伯。
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左馬頭となる。
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賜姓平朝臣は誤りならん。
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『稿本仁明天皇實録』三七四〜三七六頁「皇孫雅望王」 |
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