白川雅富
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元祿十五年(一七〇二)三月十二日生。 | |||||||||
源朝臣英方 | ||||||||||
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寶永五年(一七〇八)正月二十日、「通條卿次男」として從五位下に敍される(去五日分)。七歳。
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享保元年(一七一六)十一月二十四日、雅冬王の子となる。十五歳。
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享保元年(一七一六)十二月二十一日、元服、昇殿を聽許され、侍從に任じられ、從五位上に敍される。十五歳。 | |||||||||
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享保三年(一七一八)十一月八日、服忌(實母)。 | |||||||||
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享保三年(一七一八)十二月二十九日、服解、出仕、復任。 | |||||||||
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享保五年(一七二〇)十二月二十八日、正五位下に敍される。十九歳。
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享保九年(一七二四)正月二十六日、從四位下に敍される(去年十二月二十六日分)。二十三歳。 | |||||||||
英方王 | ||||||||||
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享保十年(一七二五)十二月二十三日、~祇伯に任じられる(侍從はもとの如し)。二十四歳。 | |||||||||
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享保十一年(一七二六)十二月二十四日、右近衞權少將に任じられる(~祇伯はもとの如し)。二十五歳。 | |||||||||
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享保十二年(一七二七)正月七日、白馬節會に右次將として參仕。
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享保十三年(一七二八)正月七日、白馬節會に右次將として參仕。
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雅富王 | ||||||||||
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享保十三年(一七二八)三月二十三日、雅富と改名。二十七歳。 | |||||||||
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享保十三年(一七二八)六月十一日、昭仁親王立太子節會に右次將として參仕。
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享保十三年(一七二八)十二月二十一日、從四位上に敍される。二十七歳。 | |||||||||
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享保十四年(一七二九)正月七日、白馬節會に右次將として參仕。
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享保十五年(一七三〇)六月二十六日、左近衞權中將に轉任(~祇伯はもとの如し)。二十九歳。 | |||||||||
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享保十六年(一七三一)正月七日、白馬節會に左次將として參仕。
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享保十七年(一七三二)正月十六日、踏歌節會に左次將として參仕。
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享保十七年(一七三二)十二月二十七日、正四位下に敍される。三十一歳。 | |||||||||
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享保十八年(一七三三)正月一日、元日節會の左次將となるが不參。
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享保十九年(一七三四)正月七日、白馬節會に左次將として參仕。
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享保十九年(一七三四)十一月九日、服忌(養父 雅冬)。 | |||||||||
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享保十九年(一七三四)十二月十日、服解、出仕、復任(内々依別勅爲輕服)。 | |||||||||
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享保二十年(一七三五)正月七日、白馬節會に左次將として參仕。
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享保二十年(一七三五)閏三月十五日、櫻町院に御拜傳授。
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享保二十年(一七三五)六月十七日、除服、出仕。 | |||||||||
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享保二十年(一七三五)十月二十六日、即位由奉幣陣儀における櫻町院の出御において御劔を奉持。
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享保二十一年(一七三六)正月七日、白馬節會に左次將として參仕。
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享保二十一年(一七三六)正月十二日、中御門院(仙洞)の御幸始に供奉。
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享保二十一年(一七三六)正月十六日、從三位に敍される(~祇伯はもとの如し)。三十五歳。 | |||||||||
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元文二年(一七三七)二月十一日、直衣を聽許される。三十六歳。 | |||||||||
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元文二年(一七三七)七月八日、除服、出仕。 | |||||||||
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元文五年(一七四〇)正月八日、正三位に敍される(~祇伯はもとの如し。去六日分)。三十九歳。 | |||||||||
源朝臣雅富 | ||||||||||
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元文五年(一七四〇)二月二十九日、~祇伯を辭す。三十九歳。 | |||||||||
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元文五年(一七四〇)三月十七日、服忌(實父)。 | |||||||||
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元文五年(一七四〇)五月九日、服解、出仕。 | |||||||||
雅富王 | ||||||||||
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寛保元年(一七四一)四月十六日、~祇伯に還任。四十歳。 | |||||||||
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寛延四年(一七五一)五月十八日、桃園院[當今]に御拜傳授。
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寛延四年(一七五一)九月十一日、例幣發遣の儀において、當今(桃園院)の御拜がなく、攝政に代って代拜。
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寶暦二年(一七五二)正月二十二日、從二位に敍される(~祇伯はもとの如し)。五十一歳。
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源朝臣雅富 | ||||||||||
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寶暦九年(一七五九)三月十九日、~祇伯を辭す。五十八歳。 | |||||||||
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寶暦九年(一七五九)五月十七日、薨逝。五十八歳。 |
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喬子女王 雅冬王の女子。 雅辰王の母。 |
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『諸家傳』十一「白川」 |
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曾根研三「増補訂正伯家系譜」(曾根研三『伯家記録考』附録) |
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