白川雅冬
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延寶七年(一六七九)正月十五日(イ十二日)生。 | ||||||||||||||
源朝臣康起 | |||||||||||||||
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貞享二年(一六八五)十二月二十四日、從五位下に敍される。七歳。 | ||||||||||||||
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元祿五年(一六九二)六月七日または元祿九年(一六九六)、雅光王の養子となる。
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元祿十年(一六九七)二月七日、元服、昇殿を聽許され、侍從に任じられる。十九歳。 | ||||||||||||||
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元祿十年(一六九七)閏二月十二日、從五位上に敍される。十九歳。 | ||||||||||||||
康起王 | |||||||||||||||
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元祿十一年(一六九八)六月三日、~祇伯に任じられる(侍從はもとの如し)。二十歳。 | ||||||||||||||
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元祿十三年(一七〇〇)十二月二十五日、正五位下に敍される。二十二歳。 | ||||||||||||||
雅冬王 | |||||||||||||||
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元祿十四年(一七〇一)十二月十四日、「雅冬」と改名。 | ||||||||||||||
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元祿十四年(一七〇一)十二月二十三日、左近衞權少將に任じられる(~祇伯はもとの如し)。二十三歳。 | ||||||||||||||
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元祿十五年(一七〇二)正月十六日、踏歌節會に參仕。
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元祿十六年(一七〇三)十二月二十二日、從四位下に敍される。二十五歳。 | ||||||||||||||
源朝臣雅冬 | |||||||||||||||
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寶永元年(一七〇四)九月十七日、病氣に依り~祇伯を辭す。二十六歳。 | ||||||||||||||
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寶永二年(一七〇五)七月六日、服忌(喪實母)。 | ||||||||||||||
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寶永二年(一七〇五)八月二十八日、服解、出仕、復任。 | ||||||||||||||
雅冬王 | |||||||||||||||
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寶永三年(一七〇六)十月九日、~祇伯に還任(左少將はもとの如し)。二十八歳。 | ||||||||||||||
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寶永三年(一七〇六)十月十日、服忌(喪養父 雅光)。 | ||||||||||||||
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寶永四年(一七〇七)二月三日、服解、出仕、復任。 | ||||||||||||||
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寶永四年(一七〇七)十二月五日、右近衞權中將に轉任(~祇伯はもとの如し)。二十九歳。 | ||||||||||||||
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寶永四年(一七〇七)十二月十八日、從四位上に敍される。二十九歳。 | ||||||||||||||
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寶永五年(一七〇八)二月十六日、慶仁親王の立太子節會に右次將として參仕。
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寶永六年(一七〇九)四月二十日、賀茂祭近衛使を勤仕。
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寶永六年(一七〇九)九月二十五日、中御門院の新造内裏遷幸無爲の御祈を松尾社・稻荷社に下知。
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寶永六年(一七〇九)十一月四日、中御門院の新造内裏遷幸無爲の御祈を松尾社・稻荷社に下知。
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寶永六年(一七〇九)十一月二十三日、新院(東山院)の新造内裏御幸に、殿上人として參仕。
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寶永八年(一七一一)正月二日、小朝拜に參仕。また、元日節會に右次將として參仕。
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寶永八年(一七一一)二月十一日、正四位下に敍される(去正月五日分)。三十三歳。 | ||||||||||||||
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正コ二年(一七一二)正月七日、白馬節會に右次將として參仕。
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正コ三年(一七一三)正月七日、白馬節會に右次將として參仕。
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正コ三年(一七一三)九月十一日、伊勢例幣發遣において、輕服の攝政の代官として參仕。
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正コ四年(一七一四)正月七日、白馬節會に右次將として參仕。
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正コ四年(一七一四)五月、武命により出仕を止められ、閉門。三十六歳。 | ||||||||||||||
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正コ五年(一七一五)十二月九日、從三位に敍される(~祇伯はもとの如し)。三十七歳。 | ||||||||||||||
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正コ五年(一七一五)十二月二十一日、中御門院[當今]に御拜傳授。
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正コ六年(一七一六)二月四日、直衣を聽許される。三十八歳。 | ||||||||||||||
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享保七年(一七二二)十二月二十五日、正三位に敍される。四十四歳。 | ||||||||||||||
源朝臣雅冬 | |||||||||||||||
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享保十年(一七二五)十二月二十三日、勅勘により~祇伯を辭し、蟄居。四十七歳。 | ||||||||||||||
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享保十九年(一七三四)十月十五日、勅免。 | ||||||||||||||
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享保十九年(一七三四)十一月九日、薨逝。五十六歳。 |
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『雅冬王記』二十册 元祿十二年(一六九九)〜享保八年(一七二三)
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『諸家傳』十一「白川」 |
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曾根研三「改訂伯家家譜」(曾根研三『伯家記録考』附録) |
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曾根研三「増補訂正伯家系譜」(曾根研三『伯家記録考』附録) |
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川田貞夫「しらかわまさふゆ 白川雅冬」(『國史大辭典』第七巻(吉川弘文館、一九八六年月第一版)七三七頁) |
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