伏見宮 博明王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[博明]

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工事中

博明王 ひろあき
 
伏見宮(二十六) ふしみのみや
 のち伏見博明 ふしみ ひろあき
 
【出自】
 博恭王[伏見宮]の孫。
 博義王[伏見宮繼嗣]の一男。
 
【母】
 朝子 ときこ
 博義王妃
 のち伏見朝子
 一條實輝の三女。
 
【經歴】
昭和七年(一九三二)一月二十六日、誕生。
『官報』第一五二〇號 昭和七年一月二十七日 告示
○宮内省告示第二號
博義王妃朝子殿下本日午後二時二十七分東
京市麹町區紀尾井町四番地伏見宮邸ニ於テ
御分娩王御誕生アラセラル
 昭和七年一月二十六日
        宮内大臣 一木喜コカ
博明王
昭和七年(一九三二)二月一日、「博明(ヒロアキ)」と命名。
『官報』第一五二五號 昭和七年二月二日 告示
○宮内省告示第三號
一月二十六日誕生セラレタル博義王殿下ノ
第一男子名ヲ博明ヒロアキト命セラル
 昭和七年二月一日
        宮内大臣 一木喜コカ
博明王[伏見宮]
昭和二十一年(一九四六)八月十六日、祖父博恭王の薨去により、伏見宮を繼承。
伏見博明
昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十一條の規定により、皇族の身分を離れる
『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十五号
 博明王、光子女王、章子女王、武彦
王、恒憲王、朝融王、守正王、鳩彦王、
稔彦王、故成久王妃房子内親王、道久
王、肇子女王、恒コ王及び春仁王各殿
下は、皇室典範第十一條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
 昭和二十二年十月十三日
     宮内府長官 松平 慶民
昭和二十五年(一九五〇)八月三日、アメリカ合衆國留學のため横濱より出港する。(李玖と共に)
モービル石油顧問
 
【配偶】
 伏見和子 ふしみ かずこ
 吉川武(吉川興機社長)の一女。
 昭和八年(一九三三)四月、誕生。
 平成九年(一九九七)四月、歿。六十三歳。
 
工事中 【子女】
 
【逸事等】
C宮貴子内親王(昭和天皇の五女)の結婚相手の候補者に擧げられた。
木下道雄『側近日誌』昭和二十一年一月十二日(土)
午後、御文庫に於て皇后宮に拜謁。
 孝宮【和子内親王】御結婚のことにつき、昨日藤井より聽取したる結果得たる予【木下道雄】の考えを申上げ、三年御延期のこと御内諾を得。尚ついでに順宮【厚子内親王】、C宮【貴子内親王】の御將來についても、配偶者の範圍を皇族に限定遊ばされぬ方、御幸bネるべき旨を申上ぐ。御異論なし。もっともC宮については、伏見宮博明王ある旨も申上ぐ。
 
【文獻等】
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 四七〜四八頁
昭和新修 華族家系大成 上巻』 四一〜四二頁
「日本の名家『旧宮家はいま』4」伏見家(『週刊読売』一九八八年六月五日) 一五三〜一五五頁、一五七頁


 
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公開日時: 2013.01.10.

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