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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[博英]

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博英王 ひろひで
 のち伏見博英 ふしみ ひろひで [伯爵]
 
【出自】
 
博恭王[伏見宮]の四男。
 
【母】
 經子
 博恭王妃
 コ川慶喜の九女。
 
【經歴】
大正元年(一九一二)十月四日、イギリスで出生。
『法令全書』大正元年十月 告示「宮内省告示第十二號(官報號外)
十月四日午前十一時五十分博恭王妃殿下分娩王男子誕生セラル
    大正元年十月四日                 宮内大臣 伯爵渡邊千秋
博英王
大正元年(一九一二)十月十日、命名。
『法令全書』大正元年十月 告示「宮内省告示第十四號(官報號外)
十月四日午前十一時五十分誕生セラレタル博恭王殿下ノ王男子名ヲ博英ヒロヒデト命セラル

    大正元年十月十日
                             宮内大臣 伯爵渡邊千秋
昭和七年(一九三二)十月三日、成年に達す。
『官報』第一七三一號 昭和七年十月五日 宮廷録事
○皇族御成年 博英王殿下一昨三日御成年
ニ達セラレタリ
昭和八年(一九三三)一月九日、成年式。
『官報』第一八〇六號 昭和八年一月十日 宮廷録事
○賜冠勅使 一昨八日午前十時勅使トシテ
侍從伯爵甘露寺受長ヲ伏見宮邸ヘ差遣ハサ
レ博英王殿下ニ冠ヲ賜ハリタリ
○皇族成年式竝朝見 博英王殿下昨九日午
前九時三十分 賢所大前ニ於テ成年式ヲ行
ハセラレ訖テ 皇靈殿 ~殿拜禮同十一時
參内朝見ノ儀同十一時五十分 皇太后ニ朝
見ノ儀ヲ濟マセラレタリ
『官報』第一八〇六號 昭和八年一月十日 告示
○宮内省告示第二號
本日博英王殿下成年式ヲ濟マセラル
 昭和八年一月九日
        宮内大臣 一木喜コ郎
『法令全書』昭和八年一月 告示「宮内省告示第二號(官報 一月十日)
本日博英王殿下成年式ヲ濟マセラル
 昭和八年一月九日
        宮内大臣 一木喜コ郎
昭和九年(一九三四)十一月十五日、海軍少尉候補生となる。
『官報』第二三六六號 昭和九年十一月十九日 敍任及辭令
○昭和九年十一月十五日
・・・・・
               博 英 王
               正 彦 王
               ・・・・・
海軍少尉候補生ヲ命ス
昭和十年(一九三五)七月二十五日、愛宕乘組を命じられる。
『官報』第二五六九號 昭和十年七月二十六日 敍任及辭令
○昭和十年七月二十五日
・・・・・
   淺間乘組海軍少尉候補生 博 英 王
愛宕乘組ヲ命ス
   八雲乘組海軍少尉候補生 正 彦 王
榛名乘組ヲ命ス
昭和十年(一九三五)十月十日、衛科講習員を命じられる。
『官報』第二六三四號 昭和十年十月十一日 敍任及辭令
○昭和十年十月十日
・・・・・
   愛宕乘組海軍少尉候補生 博 英 王
   榛名乘組海軍少尉候補生 正 彦 王
衛科講習員ヲ命ス
海軍少尉に任じられる。
昭和十一年(一九三六)三月二日、勲一等に敍され、旭日桐花大綬章を授けられる。
『官報』第二七四八號 昭和十一年三月三日 敍任及辭令
○昭和十一年三月二日
・・・・・
               博 英 王
               正 彦 王
敍勲一等授旭日桐花大綬章
昭和十一年(一九三六)四月一日、山城乘組に補される。
『官報』第二七七三號 昭和十一年四月二日 授爵、敍任及辭令
○昭和十一年四月一日
・・・・・
       海軍少尉勲一等 博 英 王
補山城乘組
       同       正 彦 王
補羽K乘組
伏見博英(侯爵)
昭和十一年(一九三六)四月一日、臣籍降下。「伏見(ふしみ)」の家名を賜わり、伯爵を授けられる。
『官報』第二七七三號 昭和十一年四月二日 告示
○宮内省告示第六號
本日勲一等博英王殿下竝勲一等正彦王殿下
ノ情願ヲ允サレ博英王殿下ニハ伏見ノ家名
ヲ賜ヒ正彦王殿下ニハ音羽ノ家名ヲ賜ヒ華
族ニ列セラル
 昭和十一年四月一日
        宮内大臣 松平 恒雄
『法令全書』昭和十一年 告示 宮内省告示第六號(官報 四月二日)(昭和十一年四月一日)
『官報』第二七七三號 昭和十一年四月二日 授爵、敍任及辭令
○昭和十一年四月一日
           勲一等 音羽正彦
授侯爵
           同   伏見博英
授伯爵
昭和十一年(一九三六)十一月五日、柳澤豐子と結婚。
昭和十六年(一九四一)一月二十七日、黒田定子と結婚。
昭和十八年(一九四三)七月十六日、南方方面の通信隊に勤務するため、羽田より空路で出發、二十三日、スラバヤに到着する。
昭和十八年(一九四三)八月二十一日、アンボンからスラバヤへの歸途、セレベス(Sulauesi)島南西部ケンダリ(Kendari)から同島南東部マカッサル(Makassar/Ujung Pandang)への定期輸送航空機「杉號」に搭乘中、東經121度30分南緯4度20分のポマラ付近海上で、米軍重爆機に撃墜され、戰死。
『宣仁親王日記』昭和十八年八月二十二日(日)(『高松宮日記』六ノ五五〇頁)
伏見伯【博英。海兵六二。海軍大尉。第三聯合通信隊司令部付兼南西方面艦隊司令部付】、飛行機定期ケンダリー/マカッサル間(敵機ト交戰セルナラン)ニテ遭難、殉職(二十一日午頃)。
『宣仁親王日記』昭和十八年八月二十三日(月)上欄(『高松宮日記』六ノ五五二〜五五三頁)
「海軍少佐伏見博英伯爵の御逸事」四二八〜四二九頁
昭和十八年(一九四三)九月四日、伏見伯八月二十六日戰傷死と發表。海軍少佐に任じられる。
『宣仁親王日記』昭和十八年九月四日(土)(『高松宮日記』六ノ五七七頁)
永久王三年祭(〇九〇〇御靈殿/一一〇〇御墓所)。伏見伯【博英】、戰傷死ト發表。
『宣仁親王日記』昭和十八年九月五日日曜日 上欄(『高松宮日記』六ノ五八一頁)
〇八〇〇軍令部、昨日伏見伯【博英】戰傷死公表セラル。
昭和十八年(一九四三)九月二十三日、横須賀にて海軍合同葬儀。
『宣仁親王日記』第十六冊巻末(『高松宮日記』七ノ三九五頁)
(一九・四・二三)【昭和十九年四月二十三日】・・・・・
 伏見伯【博英】ノ遺骨ハ音羽樣【音羽正彦】ガ横須賀カラ首ニカケテ、ソノ時、重カツタ、感慨無量ナリトノ話アリシ由。おぢ樣【鳩彦王】ノオ話ナリ。
昭和十八年(一九四三)九月二十七日、青山墓地に埋葬。
 
【配偶】
 伏見豐子 とみこ
 柳澤保承[郡山]の三女。
 大正六年(一九一七)十月二十九日生。
 昭和十一年(一九三六)十一月五日、結婚。
 昭和十四年(一九三九)十一月十四日歿。
 伏見定子
 黒田長和の一女。
 ◎ 黒田定子「能楽と私」(『ふかみどり』第二十八号(常磐会、平成二年十二月)49〜50頁)
 
【繼承者】
 伏見博孝 ふしみ ひろたか
 華頂博信(もと博信王)・華子(もと華子女王)の二男。
 昭和十八年(一九四三)八月二十五日、[故]伏見博英の養嗣子となる。
 昭和十八年(一九四三)十月一日、伯爵を襲爵。
 昭和二十六年(一九五一)三月、伏見家より離籍。
 博信王の子女の項を見よ。
 
【子女】
 伏見元子 のち堂本元子 もとこ
 伏見博英の一女。
 伏見和子 のち伏見誓寛 ふしみ せいかん/せいくわん
 伏見博英の二女。
 得淨明院 第五世住持。
 ※ 得淨明院(京都市東山区林下町)の開山は、善光寺大本願第百十七世の久我誓圓
 工事中
 ◎ 伏見誓寛『夕日観想 歌紀行』(春秋社、一九九九年十二月)
 伏見順子 ふしみ ゆきこ
 伏見博英の三女。
 昭和十六年(一九四一)十一月二十一日生。
 昭和二十年(一九四五)四月二十九日歿(ハシカと百日咳の合併症)。
 伏見佳子 ふしみ よしこ
 伏見博英の四女。
 
【逸事等】
身長 1m85cm、體重 100kg を越える大きな體格であった。
銃獵の達人で、機關雜誌に時々研究を發表していた。
杉並區の邸内に「富士見農場」を設け、野菜栽培・養蜂・養鷄を行なっていた。「海軍少佐伏見博英伯爵の御逸事」(『博恭王殿下を偲び奉りて』所收)によると、「養鷄に對しては、御邸内に大規模の養鷄場を設けて、産卵孵化を行ひ、優良種を地方の農場や、養鷄家に分與せられた。伯爵はこの事業では、採算を無視して、廉価で優良種を一般に頒ち、國民の食生活に寄與せんとするものであると申して居られた。從つて經營は赤字續きで、職員達は零してゐた樣である」(五二三頁)。よって、養蜂・養鷄等に對する「聊か趣味の程度を越えての御專心は、多少の物議をさへ側近の間に生じた位であつた」(五二九頁)。
戰時中、「反米英の國内の空氣も困つたものだ、やる連中はしくじつても大したことはあるまいが、責任者に取つては重大事なんだから」、「米英では民間飛行が進んでゐて、とても日本などの匹敵し得る所でない。サイエンスの事も考へずに、精神力ばかり言つても仕方がない」、と、當時の日本と米英の國力の差を十分に認識していた。しかし、出征が決定すると、「今度は白木の箱です」と、母の寫眞を身につけ、死を覺悟して出征した、という。
「海軍少佐伏見博英伯爵の御逸事」五二七〜五二八頁
 
【文獻等】
「海軍少佐伏見博英伯爵の御逸事」(『博恭王殿下を偲び奉りて』 五二一〜五三〇頁)
『皇室制度史料 皇族三』 三二二〜三二三頁
平成新修 旧華族家系大成 下巻』 四五六頁
昭和新修 華族家系大成 下巻』 四二一頁
「日本の名家『旧宮家はいま』4」伏見家(『週刊読売』一九八八年六月五日) 一五六〜一五七頁


 
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更新日時: 2012.01.10.
公開日時: 2011.08.17.


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