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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[邦永]
 
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邦永親王
 
 
伏見殿(十四)
 
【幼稱】
 (若宮)
 (一宮)
 
【童名】
 「茶々丸
 
【法號】
 「得解脱院
 
【出自】
 貞致親王の男子。
 靈元院の猶子。
 
【母】
 「妙有眞空院」
關白藤原朝臣尚嗣の女子。
 
【生母】
 家女房
 
【經歴】
延寶四年(一六七六)三月二十八日生。
(若宮)(一宮)「茶々丸」
天和三年(一六八三)三月十二日迄に、靈元院の猶子となる(十二日、御禮のために參内)。
『御湯殿上日記』天和三年三月十二日
ふしミ殿若宮ノ御かた御ゆうしにあそはされ候とて、御しうきに御きぬ十疋、五か五しゆまいる。ふしミ殿御禮に御まいりにて、つねの御所にて御さか月二こんまいる。
葉室本『禁中日次記』天和三年三月十二日
式部卿親王【貞致親王】參入(依息御猶子之儀御禮也)。
『伏見宮系譜』「邦永親王」
天和三年三月十二日、爲靈元院天皇御猶子。名茶々丸。
『系圖纂要』「伏見宮」、「邦永親王」
天和三年三十二御猶子茶々丸
元祿七年(一六九四)六月三日、相續。
『基熈公記』元祿七年六月三日己亥
武家傳奏兩人來云。伏見家相續之事被仰出云。一宮尤可有相續。而先日與源大納言同願申之間、被仰下旨也。畏承恐悦之由。能々可申入由示兩卿了。其後兩人起。・・・・・ 源大納言來。即今朝向伏見家。一宮相續之事被仰出旨相達了云々。
『系圖纂要』「伏見宮」、「邦永親王」
元祿七年六四嗣。
元祿八年(一六九五)十二月二日、名字を「邦永」と賜わる。
「邦永」と「邦安」のうちから、仙洞(靈元院)が爪點を加えた。
『伏見邦永親王御名字御爪點之寫』
元祿乙亥年十二月二日、當家代々連綿主上・上皇依爲御猶子、名字賜御爪點。依今度仙洞爲御猶子。故如申請者也。
 御爪點之寫(賜御爪點
  邦永
  邦安
邦永親王
元祿八年(一六九五)十二月十四日、親王宣下
『基煕公記』元祿八年十二月十四日壬寅
伏見殿邦永親王今日親王宣下也。上卿清水谷大納言、辨宣顯、奉行俊清朝臣。毎事無異事云々。仍兩種兩樽遣伏見家了。
『元和日記』元祿八年十二月十四日(『歴代殘闕日記』巻百十六
伏見殿新【親】王 宣下。稱中務卿二品親王。
『公卿補任』元祿八年
十二月十四日親王宣下(邦永)。上卿C水谷大納言(實業)。辨宣顯。勅別當久我大納言(通誠)。奉行俊C朝臣。
『續史愚抄』元祿八年十二月十四日壬寅
故式部卿貞致親王男(二十歳。伏見。新院猶子)御名字邦永、有親王宣下。上卿C水谷大納言(實業)。勅別當新大納言(通誠)。奉行頭左中辨俊C朝臣〔資廉卿御記、公卿補任注記、雜萃記、家記、紹運録〕
少外記平田家記録 I7『分配』
元祿八年(一六九五)十二月二十三日、元服。中務卿に任じられる。
『基熈公記』元祿八年十二月廿三日辛亥
今日中務卿邦永親王(去十四日宣下。今日任中務卿。歳廿)被加首服。
伏見宮本『伏見宮代々位記宣旨類』
  無品邦永親王
正二位行權大納言源朝臣通誠宣、奉勅、件親王宜令任中務卿者。
  元祿八年十二月廿三日 大外記兼掃部頭造酒正中原朝臣師庸(
加冠、關白藤原朝臣基熈[近衛]
寶永六年(一七〇九)五月二十一日、二品に敍される。
『伏見宮日記』寶永六年五月廿一日
此日(辰刻)、貞建親王宣下。未刻、邦永親王二品宣下也。
『禁裏番衆所日記』寶永六年五月廿一日辛卯
未刻、中務卿宮【邦永親王】二品宣下(陣)。上卿日野中納言。少納言時春朝臣。奉行職事尚房朝臣。爲御祝儀二荷三種被遣之。御使致長。
中務卿宮參入、於常御所代被拜龍顔。申次公全。賜二獻天盃頂戴天酌。御陪膳大炊御門中納言。役送u光、卜部兼充、宮前尚賢。
享保十一年(一七二六)十月十一日、一品に敍される。牛車宣下。
『通兄公記』享保十一年十月五日癸亥
晩方、參中務宮。自先頃御所勞(腫氣)、窺樣躰。即剋歸家。
『通兄公記』享保十一年十月十一日己巳
中務卿宮一品宣下(消息)。上卿家君【久我惟通】。奉行職事隆兼朝臣【櫛笥】。
『伏見宮日記』享保十一年十月十一日
一、今日中務卿宮一品牛車宣下也。・・・・・
一、兵部卿宮【貞建親王】(御著御衣冠)御參内。親王御所へ御就。今日中務卿宮一品宣下牛車宣下御禮被仰上。中務卿宮御不例付御名代也。
『系圖纂要』「伏見宮」、「邦永親王」
享保十一年十一十一一品 牛車。
享保十一年(一七二六)十月二十一日、薨逝。五十一歳。
『伏見宮日記』享保十一年十月廿一日
一、巳下刻、中務卿宮樣薨去。
『通兄公記』享保十一年十月廿一日己卯
中務卿宮薨去云々。依之至明後日廢朝也。
享保十一年(一七二六)十一月六日、相國寺に葬られる。
 
【墓所】
 京都府京都市左京区相国寺門前町の相國寺内伏見宮墓地
 
【子女】
道承親王
[聖護院]
【東山院の養子】

もと直宮」(「猶宮」「尚宮」)「俊宮」 貞良親王
「明宮」「治宮」
尊祐親王
[青蓮院門跡]
靈元院の養子】

もと「寛宮」 庶康親王
岩宮光子女王
【源朝臣宣澄[松平出羽守(松江)]の室】
貞建親王
伏見殿
【東山院の猶子】

「後乾徳院」
尊孝親王
[勸修寺門跡]
靈元院の猶子】

もと靜宮」「數宮榮懷親王
「基宮」 輔子女王
【藤原朝臣公詮[今出川]の室】
「滿宮」「比宮培子女王
【源朝臣家重[徳川(世子)]の室】
義周親王
[實相院門跡]
靈元院の養子】

もと受宮邦光親王
「興宮」(薫子) 吉山宗眞
[禪智院宮]のち[靈鑑寺宮]
靈元院の猶子】

【猶子】孟宮
【專修寺圓猷の男子】
 
【文獻等】
『皇室制度史料 皇族一』 二二三〜二二四頁
『皇室制度史料 皇族二』 九七〜九八頁
『皇室制度史料 皇族四』 七八〜八〇頁
『系圖綜覽』所収『詰所系圖』「伏見殿」 七三頁
『系圖纂要』神皇六 支別「伏見宮」


 
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更新日時: 2009.07.17.
公開日時: 2005.01.01.


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