● |
從五位下に敍されたと推定される。
|
● |
壽永二年(一一八三)六月三日、平家追討御願の臨時十社奉幣伊勢使の使王を勤仕。
◎ |
『吉記』壽永二年六月三日丙申
今日依追討御祈、被發遣十社奉幣。・・・・・ 伊勢(王經資。・・・・・)・・・・・
|
|
※ |
『古事類苑(~祇部 二)』~祇部三十八「奉幣」一〇三一頁
|
|
● |
建久七年(一一九六)六月十七日、臨時二十二社奉幣伊勢使の使王を勤仕。時に散位。
◎ |
『壬生家文書』九一二五四二(『圖書寮叢刊 壬生家文書 九』二三五〜二三九頁)奉幣諸社使交名案【折紙】
奉幣諸社使(建久七六十七)
伊勢
王散位經資王
中臣~祇權少祐大中臣朝臣廣定
忌部~祇權少史齋部明友
卜部龜卜長上伊岐□【成歟】業
石C水
中納言藤原朝臣親信
散位源朝臣亮C
賀茂
參議藤原朝臣雅長
散位源朝臣親房
松尾
參議藤原朝臣實明
散位藤原朝臣政光
平野
參議藤原朝臣宗ョ
前豐前守源朝臣有資
(改散位藤原有遠)
稻荷
木工權頭藤原朝臣爲盛
春日
散位藤原朝臣仲(【傍訂】伊)經
大原野
筑後守藤原朝臣仲尚
大~
散位源朝臣成實(【右傍注】不參)
石上
同上
大和
散位藤原朝臣有遠(【右傍注】源朝臣有資)
廣瀬
前駿河守高階朝臣泰房(【右傍注】不參)
龍田
同上
住吉
散位藤原朝臣C國(【右傍注】不參)
日吉
隼人正橘朝臣C俊
梅宮
散位橘朝臣親長
吉田
西市正藤原朝臣貞光
廣田
陸奧權守惟宗朝臣時賢
祇薗
散位惟宗朝臣業昌
北野
式部少輔菅原朝臣爲長
丹生
越後權守齋部宿禰基重
貴布禰
~祇少祐卜部宿禰兼濟
|
|
|
● |
建仁三年(一二〇三)七月二十七日、祈年穀奉幣伊勢使の使王を兼俊[王]と競望す。
◎ |
續史料大成本『伯家五代記』所收『業資王記』建仁三年七月廿日
來廿七日祈年穀奉幣使、王ー、經資・兼俊、競望。任先例、可被行脚卜ー之由、爲兼定奉行、被尋問云々。
|
|
|
● |
元久三年(一二〇六)二月二十八日、祈年穀奉幣伊勢使の使王を勤仕。時に散位。
◎ |
『三長記』元久三年二月廿八日己卯「祈年穀奉幣發遣」
|
|