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昭和四年(一九二九)七月二十八日生。
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『法令全書』昭和四年七月 告示「宮内省告示第二十七號 (官報 七月三十日)」
博義王妃殿下本日午後五時四十一分東京市
麴町區紀尾井町四番地伏見宮邸ニ於テ御分
娩女王御誕生アラセラル
昭和四年七月二十八日
宮内大臣 一木喜コカ
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光子女王
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昭和四年(一九二九)八月三日、「光子(ミツコ)」と命名。
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『法令全書』昭和四年八月 告示「宮内省告示第二十八號」
七月二十八日誕生セラレタル博義王殿下ノ
第一女子名ヲ光子ト命セラル
昭和四年八月三日
宮内大臣 一木喜コカ
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伏見光子
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昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十一條の規定により、皇族の身分を離れる。
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『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十五号
博明王、光子女王、章子女王、武彦
王、恒憲王、朝融王、守正王、鳩彦王、
稔彦王、故成久王妃房子内親王、道久
王、肇子女王、恒コ王及び春仁王各殿
下は、皇室典範第十一條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
昭和二十二年十月十三日
宮内府長官 松平 慶民
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尾崎光子
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尾崎行良と結婚。
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昭和六十二年(一九八七)六月三日歿。五十七歳。
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『富田朝彦手帳』 1987年6月4日
・・・・・ 昨日東園から聞いた経緯申し上げた処、尾崎夫人のこと申上げの折に山階兄弟のこともふれて。
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