前頁 「 安 [安原]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[安子]

フレームなし


安子女王 やすこ
 のち淺野安子 あさの やすこ
 
【本頁目次】
出自   配偶
  子女
經歴   文獻等
墓所  
 
【出自】
 
菊麿王[山階宮]の一女。
 
【母】
 範子 のりこ
 菊麿王妃
 九條道孝の二女。
 
【經歴】
明治三十四年(一九〇一)十月三十一日午前五時三十七分、東京市麹町區富士見町の山階宮邸にて出生。
安子女王
明治三十四年(一九〇一)十一月六日、「安子」と命名される。
『官報』第五五〇五號 明治三十四年十一月七日 告示 宮内省告示第十一號
本年十月三十一日菊麿王殿下ノ妃範子殿下分娩王女降誕安子ヤスコト名ケラル
    明治三十四年十一月七日     宮内大臣 子爵田中光顯
大正八年(一九一九)四月二日、學習院中等科を卒業。
大正九年(一九二〇)九月十三日、淺野長武[廣島]への降嫁が勅許される。
大正九年(一九二〇)九月二十八日、納采。
大正九年(一九二〇)十一月二日、勲二等に敍され、寶冠章を授けられる。
淺野安子
大正九年(一九二〇)十一月九日、淺野長武[廣島]に降嫁
『法令全書』大正九年十一月 告示 「宮内省告示第三十三號」
本日安子女王殿下從一位勲一等侯爵淺野長勲孫淺野
長武ニ嫁セラル
  大正九年十一月九日
          宮内大臣 男爵中村雄次カ
昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族の身位を喪失する。
昭和四十九年(一九七四)十二月二十五日、東京慈惠會醫科大學附屬病院において腦軟化症のため歿。七十三歳。
平成新修 旧華族家系大成 上巻』二五頁 には「昭和四九、一二、二九沒」とある。
昭和四十九年(一九七四)十二月二十八日、葬儀。
昭和五十年(一九七五)三月二十七日、廣島において告別式、埋葬。
 
【墓所】
 廣島市山手町新庄山淺野家墓地
 
【配偶】
 淺野長武 あさの ながたけ 
 安藝廣島淺野家第十六代當主
 淺野長勲の養子。淺野長之[廣島](侯爵)の一男。
 東京國立博物館長。
 明治二十八年(一八九五)七月五日生。
 大正七年(一九一八)五月二十九日、恭子女王(博恭王[伏見宮]の一女)と結婚。
 大正八年(一九一九)一月十六日、夫人 淺野寧子(もと淺野恭子)沒。
 大正九年(一九二〇)十一月九日、安子女王と結婚。
 昭和十五年(一九四〇)十二月二十八日、父淺野長之の隱居により侯爵を繼承。
 昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族(侯爵)の身位を喪失する。
 昭和四十四年(一九六九)一月三日歿。
 
【子女】
 淺野ョ子 のちコ川ョ子 とくがわ よりこ 
 淺野長武[廣島]の一女。徳川圀齊[水戸]夫人。
 ※『平成新修 旧華族家系大成 下巻』一七一頁
 淺野長愛 あさの ながちか 
 安藝廣島淺野家第十七代當主
 學習院中等科・高等科長
 財団法人山階鳥類研究所理事長。
 淺野長武[廣島]の一男。
 大正十四年(一九二五)一月十四日生。
 昭和二十三年(一九四八)、東京大學理学部を卒業。
 平成二年(一九九〇)、學習院中等科長を定年退職、山階鳥類研究所理事長となる。
 平成十九年(二〇〇七)一月六日、心不全で死去。八十一歳。
 山階芳正 やましな よしまさ 
 もと淺野茂松。いちじ淺野芳正
 淺野長武[廣島]の二男。山階芳麿の養子。
 「芳麿王」の繼承者を見よ。
 
【文獻等】
『山階宮三代』下(山階會(和田軍一)編集。山階會、昭和五十七年(一九八二)二月七四七〜七四九頁
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 二五頁


 
次頁 「 安 [安宿]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 あ 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


更新日時: 2011.08.14.
公開日時: 2002.10.03.


Copyright: Ahmadjan 2002.10 - All rights reserved.