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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[芳麿]

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芳麿王 よしまろ
 のち山階芳麿 やましな よしまろ [侯爵]
 
【出自】
 
菊麿王[山階宮]の二男。
 
【母】
 範子 のりこ
 菊麿王妃
 九條道孝の二女。
 
【經歴】
明治三十三年(一九〇〇)七月五日午前九時二十五分、東京市麹町區富士見町の山階宮邸にて出生。
『明治天皇紀』
芳麿王
明治三十三年(一九〇〇)七月十一/十二日、「芳麿」と命名。
『法令全書』明治三十三年七月 告示
○宮内省告示第八號
本年七月五日菊麿王殿下ノ妃範子殿下分娩王子降誕芳麿ヨシマロト名ケラル
    明治三十三年七月十二日             宮内大臣子爵田中光顯
大正三年(一九一四)九月一日、學習院中等科在學中、陸軍中央幼年學校予科に入學。
大正六年(一九一七)九月一日、陸軍中央幼年學校本科に進む。
大正八年(一九一九)四月二十三日、陸軍中央幼年學校を卒業。陸軍士官候補生となる。
大正八年(一九一九)十二月一日、陸軍士官學校に入學。
大正九年(一九二〇)七月五日、勲一等に敍され、旭日桐花大綬章を授けられる。
山階芳麿 [侯爵]
大正九年(一九二〇)七月二十四日、臣籍降下。「山階(ヤマシナ)」の家名を賜わり、侯爵を授けられる。同日、從四位に敍される。
『官報(號外)』大正九年七月二十四日告示
宮内省告示第二十五號
本日勲一等芳麿王殿下ノ情願ヲ允サレ賜フニ山階ノ家名ヲ以テシ華族ニ列セラル
 大正九年七月二十四日
     宮内大臣 男爵中村雄次カ
『法令全書』大正九年七月 告示 「宮内省告示第二十五號」
本日勲一等芳麿王殿下ノ情願ヲ允サレ賜フニ山階ノ家
名ヲ以テシ華族ニ列セラル
  大正九年七月二十四日(同日官報號外
         宮内大臣 男爵中村雄次カ
『官報(號外)』大正九年七月二十四日授爵及敍任
大正九年七月二十四日
授侯爵    勲一等 山階芳麿
大正十年(一九二一)七月二十七日、陸軍士官學校を卒業。
大正十年(一九二一)十月二十七日、陸軍砲兵少尉に任じられる。
大正十二年(一九二三)一月六日、陸軍砲工學校普通科に入學。
大正十三年(一九二四)一月六日、陸軍砲工學校高等科に進む。
大正十三年(一九二四)十月三十日、陸軍砲兵中尉に任じられる。
大正十三年(一九二四)十二月二十三日、陸軍砲工學校高等科を卒業。
大正十四年(一九二五)四月二日、酒井忠道の二女 壽賀子と結婚。
大正十四年(一九二五)七月五日、貴族院議員となる。
大正十四年(一九二五)八月一日、正四位に敍される。
昭和四年(一九二九)二月二十八日、請願により予備役に編入され、以後、鳥類研究に專念する。
昭和四年(一九二九)四月、東京帝國大學理學部動物學科選科に入學。
昭和六年(一九三一)三月十八日、東京帝國大學理學部動物學科選科を修了。
昭和六年(一九三一)八月十五日、從三位に敍される。
昭和十三年(一九三八)九月一日、正三位に敍される。
昭和十七年(一九四二)五月二十一日、財團法人山階鳥類研究所を設立、理事長に就任。
昭和十七年(一九四二)十一月九日、「鳥類雜種の不妊性に関する論文」により理學博士の學位を授けられる。
昭和二十一年(一九四六)五月十二日、貴族院議員を辭す。
『官報』第五八〇〇號 昭和二十一年五月十八日 帝國議會 ○貴族院
議員辭職
      本月十二日貴族院議員正
三位勲一等侯爵山階芳麿ノ辭職御允裁
アラセラレタリ
山階芳麿
昭和二十二年(一九四七)五月三日、日本國憲法の施行により、華族(侯爵)の身位を喪失する。
昭和三十二年(一九五七)十二月二十八日、財團法人日本鳥類保護連盟の理事長となる。
昭和三十五年(一九六〇)、國際鳥類保護會議アジア セクション首席代表となる。
昭和三十七年(一九六二)六月、國際鳥學會議常任理事に選任される。
昭和三十八年(一九六三)三月十五日、日本鳥學會會頭に就任。
昭和四十三年(一九六八)七月、日本鳥學會名譽會頭となる。
昭和四十五年(一九七〇)九月六日、國際鳥類保護會議副會長に選任される。
昭和四十九年(一九七四)十一月一日、世界野生生物保護財團(WWF)名譽會員となる。
昭和五十一年(一九七六)四月二十八日、財團法人日本鳥類保護連盟の會長に選任される。
昭和五十二年(一九七七)八月、國際鳥類保護會議からデラクール賞を授賞される。
平成元年(一九八九)一月二十八日歿。八十八歳。
 
【配偶】
 山階壽賀子 やましな すがこ
 酒井忠道[小濱]の二女。
 明治三十七年(一九〇四)十二月二十九日生。
 大正十四年(一九二五)四月二日、山階芳麿と結婚。
 昭和四十一年(一九六六)十二月二十二日歿。六十一歳。
 
【繼承者】
 山階芳正 やましな よしまさ
 もと淺野茂松。いちじ淺野芳正
 淺野長武[廣島]の二男。
 母は淺野安子(もと安子女王。山階芳麿の同母妹)。
 防衛大學教授、創價大學教育學部教授。
 
【逸事等】
明治四十三年(一九一〇)二月七日、明治天皇より、將來、武彦王は海軍に、芳麿王は陸軍に奉職し、藤麿王は、伊勢神宮祭主に人がない時は、これに任じられるようにとの叡旨があった。よって、芳麿王は陸軍軍人となった。しかし、鳥類研究の希望により、東京帝國大學理學部動物學科選科に入學した。
『明治天皇紀』
伊勢~宮大宮司の候補者とされたことがあった。
『入江相政日記』昭和四十六年一月二十六日(火)
・・・・・ 長官【宇佐美毅】と廊下で話し乍ら昨日の明治~宮の賀陽さんの自薦の件を話す。山科【ママ】芳麿氏~宮祭主【ママ】やゝ不適のことも聞く。・・・・・
 
【著述等】
山階芳麿『日本鳥類とその生態』T,U(岩波書店、昭和十六年(一九四一))
山階芳麿『細胞学に基づく動物の分類』(北方出版社、昭和二十四年(一九四九))
山階芳麿『鳥十話』(羽田書店、昭和十九年(一九四四))
山階芳麿『鳥ごよみ』(三興書林、昭和二十三年(一九四八))
山階芳麿『鳥の生活と巣箱』(国民図書刊行会、昭和二十五年(一九五〇))
山階芳麿『日本鳥類の生態と保護』(共立出版、昭和二十六年(一九五一))
山階芳麿「野鳥とともにあった日日」(NHK編『わたしの自叙伝(3)』、日本放送出版会、昭和五四年(一九七九)一二月、二九〜五六頁所收)
山階芳麿「私の履歴書」(昭和五十四年(一九七九)四月『日本経済新聞』連載。『私の履歴書 文化人 20』(日本経済新聞社、昭和五十九年(一九八四)七月)二六六〜三四八頁所收)
 
【文獻等】
『山階芳麿の生涯』(青木営治編著。山階鳥類研究所/出版科学総合研究所、昭和五十七年(一九八二)七月
『山階宮三代 下』(山階會(和田軍一)編集。山階會、昭和五十七年(一九八二)二月七三七〜七四七頁
平成新修 旧華族家系大成 下巻』 七九五頁
昭和新修 華族家系大成 下巻』 七四三頁
「日本の名家『旧宮家はいま』4」 山階家(『週刊読売』一九八八年六月五日一五七〜一六〇頁


 
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更新日時: 2011.08.29.
公開日時: 2008.08.24.


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