専修寺円遵 / 无上上院宮
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家女房 |
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延享五年(一七四八)三月十八日、「百萬遍屋敷少貳宅」において誕生。
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職仁親王[有栖川宮]の實子(五男)となる。 | ||||||||||||||||||||||||
「季宮」 | |||||||||||||||||||||||||
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延享五年(一七四八)三月二十六日、七夜。幼稱「季宮」。
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延享五年(一七四八)四月十九日、「百萬遍屋敷少貳宅」より有栖川宮邸の裏御殿に入る。
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寛延二年(一七四九)十一月七日、髪置。
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寛延三年(一七五〇)十一月二十六日、色直。
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寶暦元年(一七五一)十二月十三日、專修寺門主圓猷(貞致親王[伏見宮]の五男)の附弟となる内約が整う。五歳。
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寶暦二年(一七五二)十一月二十七日、專修寺圓猷の附弟となることが勅許され、十二月二十一日、披露。
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寶暦三年(一七五三)正月二日、專修寺門主圓猷が遷化。專修寺門主を相續する。
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寶暦三年(一七五三)三月二十九日、深曾木。
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寶暦三年(一七五三)四月三十日、有栖川宮邸から本誓寺(專修寺の京都里坊。河原町二條上ル丁)に移る。
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寶暦三年(一七五三)九月五日、伊勢國一身田へ下向するため京都を出發し、九月七日、一身田專修寺に入寺。
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寶暦七年(一七五七)九月六日、伊勢~宮に參詣。
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圓智 | |||||||||||||||||||||||||
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寶暦八年(一七五八)三月二十日、得度。十三歳。法諱「圓智」。
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寶暦十二年(一七六二)十二月十二日、紫衣を勅許される。
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圓遵 | |||||||||||||||||||||||||
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寶暦十三年(一七六三)八月二十一日、法諱を「圓遵」と改める。
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東下し、明和四年(一七六七)三月四日、七日、江戸城に登城し、征夷大將軍源朝臣家治[コ川]に謁見。
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明和四年(一七六七)四月二十一日、江戸より一身田に歸着。
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明和五年(一七六八)二月十六日、「嘉傳宮」(近子女王。貞建親王[伏見宮]の養女。專修寺圓猷の一男 圓超の一女)と結婚。
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專修寺住持職補任の綸旨の復興を願い出、安永七年(一七七八)八月二十八日、綸旨を拜受。
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天明三年(一七八三)十一月六日、專修寺の本堂以下が燒亡。而後、復興に努める。 | ||||||||||||||||||||||||
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文化八年(一八一一)三月十日、專修寺住持職を圓祥に讓り、隱居。「无上上院」と稱す。五月三日、專修寺住持職讓與を聽許される。
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文政二年(一八一九)十月二十二日(陽暦十二月九日)死去。七十二歳。
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文政二年(一八一九)十月二十三日、發喪。
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文政二年(一八一九)十二月十二日、荼毘。
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近子[女王] 貞建親王[伏見宮]の養女。 圓超(第十七世專修寺門主圓猷の一男)の一女。 |
明和八年正月八日生。 伊勢國奄藝郡北K田村の淨光寺に嫁ぐ。 天保五年九月十一日歿。六十四歳。 「如意香院」 |
明和九年五月二十日生。 藤原朝臣爲訓[下冷泉]の室。 享和三年七月二十日歿。三十二歳。 「桂林院」 |
安永二年五月二十七日生。 安永六年二月二十日歿。五歳。 ※ 系譜等において十日歿とするのは誤り。 「明澄院」 |
安永四年五月二十九日生。 ※ 系譜等において二十日生とするのは誤り。 伊勢國一身田(專修寺山内)玉保院の寛剛の室。 文政十一年十一月二十七日歿。六十四歳。 「無量香院」 |
伊勢國安濃津の上宮寺の慶遇に縁約。 寛政十一年八月十八日歿。 「歸本院」 |
もと「C丸」 「廣C院宮徳皎圓空」 |
「章宮」 |
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故ありて、僧官・僧位を申請しなかった。 |
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『高田三祖傳』
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『斷肉消息』
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『平生用心鈔』
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『有栖川宮實録』三五『職仁親王實録』二四(宮内公文書館 75399)「王孫 圓遵一」 |
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『有栖川宮實録』三六『職仁親王實録』二五(宮内公文書館 75400)「王孫 圓遵二」 |
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『職仁親王行實』第十三章 王孫竝に王孫女「圓遵」 |
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『專修寺門室歴世系譜』(『真宗史料集成 第七巻』所収) *頁 |
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『改訂有栖川宮系譜』(宮内公文書館 32773) |
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『新修有栖川宮系譜』 *頁 |
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