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明治三十五年(一九〇二)一月二十六日、博恭王[華頂宮]の二男として出生。
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博忠王
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明治三十五年(一九〇二)二月三日、「博忠(ひろただ)」と命名。
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『法令全書』明治三十五年二月 告示
○宮内省告示第一號
本年一月二十六日博恭王殿下ノ妃經子殿下分娩王子御降誕博忠ト名ケラル
明治三十五年二月三日 宮内大臣子爵田中光顯
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博忠王[華頂宮]
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明治三十七年(一九〇四)一月十六日、父 博恭王が、兄 博義王と姉 恭子女王を携帶して伏見宮に復歸した後をうけて、華頂宮を繼承する。
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『官報』明治三十七年一月十六日告示「宮内省告示第五號」
今般博恭王殿下ニ博義王恭子女王兩殿下ヲ携帶シ伏見宮へ復歸仰付ラレ博忠王殿下ニ華頂宮繼承仰付ラル
明治三十七年一月十六日 宮内大臣 子爵田中光顯
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『法令全書』明治三十七年一月 告示
○宮内省告示第五號
今般博恭王殿下ニ博義王恭子女王兩殿下ヲ携帶シ伏見宮へ復歸仰付ラレ博忠王殿下ニ華頂宮繼承
仰付ラル
明治三十七年一月十六日 宮内大臣子爵田中光顯
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『皇室制度史料 皇族四』 二三七頁
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大正十三年(一九二四)三月十九日、佐世保海軍病院にて死亡(「全ク御危篤」)。海軍中尉大勲位。
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『官報』第三四七四號 大正十三年三月二十六日 宮廷録事
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同日、第四十三潜水艦が佐世保港外にて演習中、軍艦龍田と衝突して沈沒、四十五名の殉職者を出すという慘事が起こった。
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大正十三年(一九二四)三月二十四日「薨逝」(発喪)。
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『官報(號外)』大正十三年三月二十四日 月曜日 告示
◎宮内省告示第十五號
海軍中尉大勲位博忠王殿下今二十四日午後六時三十五分薨
去セラル
大正十三年三月二十四日 宮内大臣 子爵 牧野 伸顯
◎宮内省告示第十六號
海軍中尉大勲位博忠王殿下薨去ノ爲本月二十四日及二十五
日ノ二日間宮中喪仰出サル
大正十三年三月二十四日 宮内大臣 子爵 牧野 伸顯
◎宮内省告示第十七號
海軍中尉大勲位博忠王殿下薨去ノ爲宮中喪仰出サレタルニ
依リ宮中ニ參内スル者ハ皇室喪服規程ニ依ル喪服著用可致
旨仰出サル
大正十三年三月二十四日 宮内大臣 子爵 牧野 伸顯
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『法令全書』大正十三年三月 告示「宮内省告示第十五號(官報號外)」
海軍中尉大勲位博忠王殿下今二十四日午後六時三十五分薨
去セラル
大正十三年三月二十四日 宮内大臣 子爵 牧野 伸顯
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『法令全書』大正十三年三月 告示「宮内省告示第十六號(官報號外)」
海軍中尉大勲位博忠王殿下薨去ノ爲本月二十四日及二十五
日ノ二日間宮中喪仰出サル
大正十三年三月二十四日 宮内大臣 子爵 牧野 伸顯
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『法令全書』大正十三年三月 告示「宮内省告示第十七號(官報號外)」
海軍中尉大勲位博忠王殿下薨去ノ爲宮中喪仰出サレタルニ
依リ宮中ニ參内スル者ハ皇室喪服規程ニ依ル喪服著用可致
旨仰出サル
大正十三年三月二十四日 宮内大臣 子爵 牧野 伸顯
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『官報』第三四七四號 大正十三年三月二十六日 宮廷録事
◎御答電 博忠王殿下薨去ニ際シ墨西其合衆國大統領閣下
ヨリ 天皇陛下ヘ御弔電ヲ寄セラレ 天皇陛下ハ之ニ對シ
昨二十五日御禮電御發送アラセラレタリ
◎博忠王殿下御容體 大正十三年三月三日御乘艦五十鈴ニ
於テ輕微ノ御頭痛御咽頭痛アラセラレシモ御發熱ナカリシ
カ翌四日ニ至リ御頭痛増劇シ御體温上昇シ御安眠アラセラ
レス依テ六日佐世保海軍病院ニ御入院遊ハサル御入院時ハ
御意識御明瞭ニシテ御頭痛御項痛御下肢倦怠ヲ覺ヘサセラ
レ御體温三十八度五分御脈搏七十四至ニシテ強實ニアラセ
ラル御眼球運動御瞳孔反應ニハ變化アラセラレサルモ御羞
明アリ御項部強剛「ケルニヒ」徴候ヲ認メ膝蓋腱反射ハ消失シ
「アヒレス」腱反射ハ常腹壁反射足蹠反射ハ亢進ス御食機進
マセラレス御睡眠尚ホ不十分ニアラセラル十日御嘔吐一囘
アラセラレ十二日ニ至リ御瞳孔少シク縮小シ腹壁反射足蹠
反射「アヒレス」腱反射ハ少シク減弱セラルヽモ御眼球其
他ニ麻痺ノ御徴候ヲ認メス十三日午前二時五十五分ヨリ御
意識稍々朦朧ト爲ラセラレ時々御譫語ヲ發セラル同五時ヨ
リ御脈搏時々不整ト爲ラセラレ御四肢ニ輕キ御痙攣アラセ
ラル御體温ハ 尚ホ 依然トシテ三十八度内外ヲ持續セルモ
御脈搏ハ漸次減少シテ六十至ト爲リ又自然排尿アラセラレ
ス十五日以來御體温御脈搏共ニ増加シ御攝食量極メテ少量
ニシテ御衰弱加ハラセラル十七日ニ至リ御體温下降シ御脈
搏ハ増加シ御心臟御衰弱ノ徴候現ハレ御呼吸ハ著シク淺表
ト爲ラセラレ十八日夜ニ至リ御昏朦状態ニ爲ラセラル十九
日午後六時三十五分全ク御危篤ニ陷ラセラレ本月二十四日
午後六時三十五分遂ニ薨去遊ハサル
◎御沙汰 故博忠王葬儀ニ付博信王殿下ヘ喪主被仰付候旨
一昨二十四日御沙汰アラセラレタリ
◎皇族御服喪 博忠王殿下一昨二十四日薨去ニ付博義王殿
下ハ弟ノ御續ヲ以テ博信王、敦子女王、知子女王、博英王各
殿下ハ兄ノ御續ヲ以テ博恭王同妃經子兩殿下ハ子ノ御續ヲ
以テ利子女王殿下ハ男系ノ孫ノ御續ヲ以テ邦芳王殿下ハ兄
ノ子ノ御續ヲ以テ各々定式ノ喪ヲ服セラル
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博忠王には妃・繼嗣がなかったため、華頂宮家は斷絶した。
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大正十三年(一九二四)三月三十一日葬儀。
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『官報』第三四七九號 大正十三年四月一日 宮廷録事
◎御斂葬濟 故博忠王御斂葬去月三十一日午後三時二十分
滯ナク濟マセラレタリ
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博忠王の葬儀において、弟の博信王(華頂宮家の祭祀を繼承)が喪主を務めた。
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