任宗王


前頁 「 任 [任助]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[任宗]

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任宗王 タフム子/トフム子
 
 伊勢奉幣の使王代
 
【本名】
 源朝臣任賢[河越兵庫頭]
源朝臣道賢[河越兵庫助](道宗王」の作名で伊勢使王代を勤仕)の男子。
『地下家傳』に「源道賢男」とあるが、道賢は文化四年の出生であるので、任賢は道賢の「實子」であったと考えられる。
文化十五年(一八一八)正月十三日生。
天保七年(一八三六)十月二十八日、正六位下に敍され、近江介に任じられる。十九歳。
天保十五年(一八四四)五月六日、兵庫助に任じられる。
少外記平田家記録 H206-10
弘化二年(一八四五)十二月十七日、從五位下に敍される。二十八歳。
少外記平田家記録 H206-12
弘化四年(一八四七)七月九日、兵庫頭に轉任。
嘉永七年(一八五四)十月十四日、從五位上に敍される。三十七歳。
安政二年(一八五五)、兵庫頭を辭任。
安政四年(一八五七)、卒去。四十歳。
『地下家傳』には、「安政二年 辭頭」に續き「同 卒(四十歳)」とあり、安政二年に卒去したかの如く見えるが、卒年より逆算して、「同四年」とあるべきものと解す。
『地下家傳』四「兵庫寮 河越 姓源 元C原又王」一八二〜一八三頁「任賢(源道賢男/母)」
 
【經歴】
天保十四年(一八四三)九月十一日、伊勢例幣の使王代。(本位六位)
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
天保十四
 例幣
   使王
    従五位下道宗王


 天保十四
 例幣使々
   九五依所労理
王  従五位上道宗
   替男従五位下 任宗
中臣 正四位下教忠朝臣
齋部 正五位下則能

九六書改取替了

天保十四
例幣
  使王     タフム子
  従五位下任宗王

 天保十四
 例幣發遣次第
 ・・・・・
     大 師コ
次令官人召外記問卜串候否
 使王一人之時 上卿仰云卜串ハ
 外記申其由  外記對申任宗タフム子王一人候卜串不候
・・・・・
      王従五位下任宗中臣正四位下教忠朝臣 齋部
次令召使召外記問使々參否
      正五位下則能
・・・・・
川越兵庫助道賢(道宗王)が使王代を勤仕する予定であったが、所勞のため、九月五日に至り、任宗王に替えられた。
少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』
少外記平田家記録 D2-32 天保十四年九月十一日 例幣參仕外記方交名
河越家記録『例幣使王參向日記 從天保十四卯年至弘化四未年
天保十五年(一八四四)九月十一日、伊勢例幣の使王代。(本位六位)
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
天保十五
  例幣

   使王
   従五位下任宗王

  例幣使々

中臣 大宮司神祇少副都盛朝臣
齋部 真継能登守則能
  右參向
  天保十五
   八月三十日

 天保十五
  例幣使々

王   従五位下任宗
中臣  従四位上都盛朝臣
齋部  正五位下則能

 天保十五
 例幣發遣之次第
 ・・・・・
   使王仰云卜串設タリヤ外記荅申云任宗トフム子王一人候
上卿問卜串候否    卜串ハ不候
 若使王一人之時申其由
 此序仰使王御馬事早
 可令申由
・・・・・
上卿問使使参否
       王  従五位下任宗
 外記申参由 中臣 従四位上都盛朝臣
       齋部 正五位下 則能
・・・・・
少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(使々交名・宣命使々位署)
少外記平田家記録 J10-49
河越家記録『例幣使王參向日記 從天保十四卯年至弘化四未年
弘化三年(一八四六)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
弘化三
 例幣使


王  従五位下任宗

弘化三
  例幣

  使王
   従五位下任宗王

少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(宣命寫)
河越家記録『例幣使王參向日記 從天保十四卯年至弘化四未年
少外記平田家記録 J11-12 『弘化三年九月十一日 例幣散状』
弘化四年(一八四七)八月二十五日、孝明天皇即位由奉幣伊勢使の使王代
『即位由奉幣宣命寫』(『孝明天皇紀』第一、三九九頁 所引
王從五位下任宗王
河越家記録『例幣使王參向日記 從天保十四卯年至弘化四未年
弘化四年(一八四七)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
弘化四
  例幣使々

王   従五位下任宗
中臣  三位教忠卿
齋部  正五位下則能

弘化四
 例幣

  使王
  従五位下任宗王

少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(宣命使々位署・使々交名)
『吉田家日記』弘化三年九月十一日癸巳(『孝明天皇紀』第一、二六八頁 所引。『大日本維新史料』一ノ二、七〇九頁 所引
使王代 川越兵庫助任賢
嘉永元年(一八四八)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『押小路文書』四十七(内閣文庫 古11-284)
【嘉永元年 例幣發遣次第】
・・・・・
  上卿仰云卜串設タリヤ外記答申云任宗タフム子王一人候卜串不候。
上卿問卜串候否
 若使王一人之時申其由
 此序仰使王御馬事早
 可令申由
・・・・・
 嘉永元
 ●
九月十一日
・・・・・
一 王 従五位下任宗
一中臣正三位教忠卿
一齋部従五位上能敬
外記局本 563 63『例幣一會』七(一括 百十壹葉)(嘉永 安政)
嘉永元
 例幣

  使王
   従五位下任宗王

  例幣使々

中臣 祭主神祇大副教忠卿
齋部 真継能登守則能
 右參向
嘉永元
 八月廿二日

此交名師身依重服中以助筆調法注進了
嘉永元
 例幣使々

王   従五位下任宗
中臣  正三位教忠卿
齋部  正五位下則能

少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(宣命使々位署)
河越家記録『例幣使王參向日記 從嘉永元申年至嘉永三戊年
嘉永元年(一八四八)十一月九日、孝明天皇大嘗會由奉幣伊勢使の使王代
少外記平田家記録 D17「奉幣諸社使歴名帳」 嘉永元年度大嘗會由奉幣
『骭卿記』弘化五年【嘉永元年】十一月九日己卯(『孝明天皇紀』第一、七〇〇頁 所引。『稿本孝明天皇實録』一五四〜一五六頁 所引
 王代任賢王【ママ】。齋部則能。
『骭卿記』弘化五年十一月九日己卯條に「任賢王」とあるのは誤り。
嘉永二年(一八四九)八月二十二日、伊勢一社奉幣の使王代
『宣命抄』(『孝明天皇紀』第一、八一六頁所引
王從五位下任宗王
『輔世卿記』嘉永二年八月廿二日(『孝明天皇紀』第一、八一八頁 所引
使王代 川越兵庫頭任賢
嘉永二年(一八四九)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』七(一括 百十壹葉)(嘉永 安政)
嘉永二
 例幣

  使王
   従五位下任宗王

  例幣使々

中臣 祭主三位教忠卿
齋部 真継能登守則能
右參向
嘉永二
 八月十八日

嘉永二
 例幣使々

王   従五位下任宗
中臣  正三位教忠卿
齋部  正五位下則能

嘉永二
 例幣發遣次第
・・・・・
 神祇官代儀
・・・・・
次上卿以召使召外記問使々參否
       王  従五位下任宗
 外記申參由 中臣 正三位教忠卿
       齋部 正五位下則能
 ・・・・・
少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(宣命使々位署)
河越家記録『例幣使王參向日記 從嘉永元申年至嘉永三戊年
嘉永三年(一八五〇)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』七(一括 百十壹葉)(嘉永 安政)
  例幣使々

中臣 祭主三位教忠卿
齋部 山科大監物則恒
 右參向
嘉永三
  八月廿七日

嘉永三
 例幣使々

王  従五位下任宗
中臣 正三位教忠卿
齋部 正五位下則恒

嘉永三
 例幣

  使王
   従五位下任宗王

少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(宣命使々位署)
少外記平田家記録 K61-143 日次記 嘉永三年九月十一日
河越家記録『例幣使王參向日記 從嘉永元申年至嘉永三戊年
嘉永四年(一八五一)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』七(一括 百十壹葉)(嘉永 安政)
嘉永四
 例幣

  使王
   従五位下任宗王

  例幣使々

中臣 大宮司神祇權大副長量朝臣
齋部 山科長門守康直
 右參向
 嘉永四
  八月廿三日

嘉永四
 例幣使々

王  従五位下任宗
中臣 従四位下長量朝臣
齋部 正五位下康直

嘉永四
 例幣發遣次第
・・・・・
   上卿仰云卜串設タリヤ外記云任宗トフム子王一人候
上卿問卜串候否      卜串不候
 若使王一人之時申其由
 此序仰使王御馬事
・・・・・
 神祇官代儀
・・・・・
上卿問使々參否
       王  従五位下任宗
 外記申參由 中臣 従四位下長量朝臣
       齋部 正五位下 康直
 此序仰使王御馬 聞食由
・・・・・
少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(使々交名・宣命使々位署・使々交名)
河越家記録『例幣使王參向日記 從嘉永四亥年至嘉永六丑年
嘉永五年(一八五二)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』七(一括 百十壹葉)(嘉永 安政)
  例幣使々

中臣 祭主三位教忠卿
齋部 粟津左京大進能敬
  右參向
 嘉永五
  八月廿五日

嘉永五
 例幣使々

王  従五位下任宗
中臣 正三位教忠卿
齋部 従五位上能敬

外記局
嘉永五
 例幣

  使王
   従五位下任宗王

少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(宣命使々位署・使々交名)
河越家記録『例幣使王參向日記 從嘉永四亥年至嘉永六丑年
嘉永六年(一八五三)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』七(一括 百十壹葉)(嘉永 安政)
  例幣使々

中臣 祭主三位教忠卿
齋部 真継大和守能弘
 右參向
嘉永六
 八月十九日

嘉永六
 例幣使々

王  従五位下任宗
中臣 正三位教忠卿
齋部 従五位下能弘

嘉永六
 例幣

  使王
   従五位下任宗王

嘉永七年(一八五四)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』七(一括 百十壹葉)(嘉永 安政)
  例幣使々

中臣 祭主三位教忠卿
齋部 真継大和守能弘
 右參向
嘉永七
  八月廿三日

嘉永七
 例幣使々

王  従五位下任宗
中臣 正三位教忠卿
齋部 従五位上能弘

外記局
嘉永七
 例幣

  使王
   従五位下任宗王

少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(宣命使々位署・使々交名)
河越家記録『例幣使王參向日記 從嘉永七寅年至安政三辰年
安政二年(一八五五)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』七(一括 百十壹葉)(嘉永 安政)
安政二
 例幣

  使王
   従五位上任宗王

  例幣使々

中臣 祭主三位教忠卿
齋部 真継大和守能弘
右參向
安政二
 八月廿九日

安政二
 例幣使々

王  従五位上任宗
中臣 正三位教忠卿
齋部 従五位上能弘

外記局
河越家記録『例幣使王參向日記 從嘉永七寅年至安政三辰年
『平田職修日記』安政二年九月十一日
  中臣 藤波教忠卿
  忌部 真継能弘
  玉代 川越
安政三年(一八五六)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』七(一括 百十壹葉)(嘉永 安政)
  例幣使々

中臣 祭主三位教忠卿
齋部 真継大和守能弘
右參向
 八月廿四日

安政三
 例幣使々

王  従五位上任宗
中臣 正三位教忠卿
齋部 従五位上能弘

外記局
安政三
例 幣

 使王
  従五位上任宗王

河越家記録『例幣使王參向日記 從嘉永七寅年至安政三辰年
 
【河越道賢の子女】
 源朝臣賢滿(カタミツ)[河越大隅介](のち河越賢滿
  天保十年(一八三九)生。
  明治三十一年(一八九八)四月二十九日歿。六十歳。
  ※ 賢滿の子:
     源朝臣賢光[河越伊勢介]
     源朝臣種賢[河越兵庫權助](養子。「
種弘王」の作名で伊勢使王代を勤仕
     河越滿之
 
【文獻等】
藤森馨「國學院大學図書館所蔵「河越家記録・文書」の紹介と目録」(『國學院大學図書館紀要』第六号、平成六年(一九九四)三月、75〜98頁)


 
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更新日時: 2021.12.06.
公開日時: 2010.01.07.


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