道宗王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[道宗]

フレームなし


道宗王 トキム子
 
 伊勢奉幣の使王代
 
【本名】
 源朝臣道賢[河越兵庫助]
源朝臣定賢[河越兵庫頭](定賀王」の作名で伊勢使王代を勤仕)の男子。
文化四年(一八〇七)二月九日生。
文政四年(一八二一)正月二十日、正六位下に敍され、伊勢介に任じられる。十五歳。
文政十三年(一八三〇)正月二十一日、從五位下に敍される。二十四歳。
少外記平田家記録 I79 平田職孚『天保元年正月 職事御用帳写』
文政十三年(一八三〇)三月二十四日、伊勢介より伊勢守に轉任。
少外記平田家記録 I79 平田職孚『天保元年正月 職事御用帳写』
天保二年(一八三一)五月十九日、兵庫權助に任じられる。
『地下家傳』による。但し、同年九月の例幣において、道賢は伊勢守であった。よって、實際に兵庫權助に任じられたのは九月以降であり、任官の日付を遡らせた、と考えられる。
天保五年(一八三四)六月五日、兵庫助に轉任。二十八歳。
天保十年(一八三九)十二月十九日、從五位上に敍される。三十三歳。
少外記平田家記録 H206-6
天保十五年(一八四四)四月二十日、病に依り、兵庫助を辭任。
少外記平田家記録 H206-10
弘化二年(一八四五)七月十一日、卒去。三十九歳。
『地下家傳』四「兵庫寮 河越 姓源 元C原又王」一八二頁「源道賢 源定賢男
 
【經歴】
文政十一年(一八二八)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』(宣命使々位署・使々交名)
文政十二年(一八二九)八月二十五日、臨時伊勢一社例幣(遷宮)の使王代
『職寅記』文政十二年八月廿五日丙戌
雨降。
一、就伊勢一社奉幣發遣日時定陣儀竝御拜、出御。卯半刻、予・職修著束帶出仕。
・・・・・
一社奉幣
 上卿 三條皇太后宮權大夫實萬卿
 辨  萬里小路左少辨正房
 奉行 柳原頭辨骭朝臣
伊勢參向
 中臣 藤波~祇大副光忠卿
 王代 川越伊勢介源道賢
 齋部 眞繼能登守則能
稿本仁孝天皇實録』五九三〜五九四頁 文政十二年八月二十五日「伊勢一社奉幣發遣日時定アリ、」
文政十二年(一八二九)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 宣命使々位署・使々交名
文政十三年(一八三〇)五月四日、伊勢公卿勅使副使の使王代
『職寅記』文政十三年五月四日辛酉
一、公卿勅使發遣日時定等ニ付、寅半刻、予著束帶出仕。・・・・・
・・・・・
一、・・・・・・公卿勅使發遣日時定竝發遣。
 上卿 九條右大臣尚忠公
 參議 山科宰相言知卿
 奉行 頭辨骭朝臣
 辨  烏丸右少辨光政
勢州參向
 勅使 葉室左大辨宰相顯孝卿
 中臣 藤波祭主正三位~祇大副光忠卿
 使王 河越伊勢守道賢(作名道宗王)
 齋部 直繼【眞繼】能登守則能
  衞士 二人 (藤井總博/藤井自重)
 今度被發遣公卿勅使者、去閏三月廿日内宮別宮荒祭宮以下殿舍燒亡、依之被謝申之勅使也。承暦三年、仁安三年(人車記)等之御例云々。
稿本仁孝天皇實録』六一一〜六一二頁 文政十三年五月四日「去閏三月二十日、伊勢内宮別宮荒祭宮已下燒亡ニ依リ、是日、伊勢一社奉幣ヲ發遣セラル、南殿ニ出御、御拜アラセラル、」
宮内庁書陵部所藏 513 55『伊勢一社奉幣下行方』
文政十三年(一八三〇)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 宣命寫・使々交名
『押小路文書』四十七(内閣文庫 古11-284)
【宣命案】・・・・・ 王從五位下道宗王中臣正三位行神祇大副大中臣朝臣光忠等差使齋部【忌部】從五位下齋部宿祢則能弱肩 ・・・・・
  文政十三年九月十一日
天保二年(一八三一)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 宣命使々位署・使々交名
天保三年(一八三二)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 宣命使々位署・使々交名
天保四年(一八三三)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
天保五年(一八三四)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
天保六年(一八三五)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
天保七年(一八三六)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』
天保八年(一八三七)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(宣命使々位署)
天保九年(一八三八)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』
天保十年(一八三九)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
外記局本 563 63『例幣一會』八(一括 百十九葉)(萬延 文久 元治 慶應 明治)
天保十
 例幣

  使王
   従五位下道宗王

少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(宣命使々位署)
天保十一年(一八四〇)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
少外記平田家記録 D16 中原職孚『天保七年已徃例幣一會記』(宣命使々位署・使々交名)
天保十四年(一八四三)九月十一日、伊勢例幣の使王代を勤仕する予定であったが、「所勞」のため、九月五日に至り、子 任賢(任宗王)に替えられた。
外記局本 563 63『例幣一會』六(一括 百五十四葉)(天保 弘化)
天保十四
 例幣
   使王
    従五位下道宗王


 天保十四
 例幣使々
   九五依所労理
王  従五位上道宗
   替男従五位下 任宗
中臣 正四位下教忠朝臣
齋部 正五位下則能

九六書改取替了

 
【河越道賢の子女】
 □ 源朝臣任賢[河越兵庫頭](
任宗王」の作名で伊勢使王代を勤仕
『地下家傳』に「源道賢男」とあるが、道賢は文化四年の出生であるので、任賢は道賢の「實子」であったと考えられる。


 
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更新日時: 2021.12.06.
公開日時: 2010.01.04.


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