定賀王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[定賀]

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定賀王 サダヨシ
 
 伊勢奉幣の使王代
 
【本名】
 源朝臣定賢[河越兵庫頭]
源朝臣賢通[河越兵庫頭](宗通王」の作名で伊勢使王代を勤仕)の男子。
天明二年(一七八二)六月三十日生。
天明八年(一七八八)十二月十八日、正六位下に敍され、兵庫權助に任じられる。七歳。
寛政十年(一七九八)八月二十七日、兵庫助に轉任。十七歳。
寛政十二年(一八〇〇)正月五日、從五位下に敍される。十九歳。
文化六年(一八〇九)八月七日、從五位上に敍される。二十八歳。
文化十四年(一八一七)二月二十五日、正五位下に敍される。
文政十一年(一八二八)正月二十四日、病のため兵庫頭を辭任。四十七歳。
天保十二年(一八四一)八月一日、卒去。六十歳。
『地下家傳』四「兵庫寮 河越 姓源 元C原又王」一八二頁「源定賢 源賢通男舟橋從二位則賢卿猶子/母
 
【經歴】
寛政三年(一七九一)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『平田職厚日記』寛政三年九月十一日
寛政四年(一七九二)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『平田職厚日記』寛政四年九月十一日
寛政六年(一七九四)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『均光日次記』寛政六年九月十一日乙未條に「從五位下定賢王」とあるが、定賀王とあるべきもの。
寛政九年(一七九七)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『均光日次記』寛政九年九月十一日
・・・・・
天皇詔旨掛畏伊勢度會五十鈴河上下津磐根大宮柱廣敷立高天原千木高知 稱辭定奉、天照坐皇太~廣前、恐美毛申賜倍止。常奉賜九月~嘗御幣、王從五位下定賀王、中臣正三位行~祇大副大中臣朝臣寛忠等差使、忌部從五位下齋部宿禰康寧弱肩太繦取懸、禮代御幣持齋者利、令捧持、奉出賜。此状聞食、天皇朝廷寶位無動常盤堅磐夜守日守護幸給倍止恐美恐美毛申給者久止申。
  寛政九年九月十一日     大内記長親朝臣作進之。
寛政十年(一七九八)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『光格天皇日記案』寛政十年九月十一日壬申(『稿本光格天皇實録』一〇四七頁所收)
~嘗例幣發遣也。・・・・・
 使々上卿已下記于左
    上卿     辨
   葉室大納言   國長
    中臣使    王代  齋部
   寛忠卿     定賢  康寧
寛政十一年(一七九九)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記平田家文書D1-34 寛政十一年九月十一日宣命
王從五位下定賀王
享和元年(一八〇一)三月十四日、伊勢公卿勅使の副使
少外記平田家記録 D38 「享和元年三月十四日伊勢公卿勅使宣命案」
宮内庁書陵部所藏 513 55『伊勢一社奉幣下行方』
『禁裏執次詰所日記』寛政十三年【享和元年】三月十四日庚寅
一、今日勢州公卿勅使發遣也。
・・・・・
一、伊勢公卿勅使發遣。
  上卿 近衞内大臣      辨  裏松辨
  使  花山院右大將     副使//王 川越兵庫助
  中臣 藤波二位       齋部 眞繼能登守
・・・・・
u谷末壽『みつかひ御詣記』(〔資料翻刻〕吉【土口】川竜実・芝本行亮「益谷末寿著『みつかひ御詣記』」『皇學館大学神道研究所紀要』第二十六輯、平成二十二年(二〇一〇)三月、229〜272頁
王代定賀ハ兵庫の權助
『享和公卿勅使見聞録』(〔資料翻刻〕吉【土口】川竜実・芝本行亮「『享和公卿勅使見聞録』」『皇學館大学神道研究所紀要』第二十六輯、平成二十二年(二〇一〇)三月、273〜282頁
使王代從五位下行兵庫助源朝臣定賢川越
享和元年(一八〇一)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『押小路文書』四十七(内閣文庫 古11-284)
【宣命案】・・・・・ 王従五位下定賀王中臣正三位大中臣朝臣季忠等差使忌部從五位上齋部宿祢康寧弱肩 ・・・・・
  享和元年九月十一日
少外記平田家記録 D1-18 「例幣發遣奉行備忘」享和元年九月十一日
少外記平田家記録 D37-2 「享和元年例幣使々交名」
文化元年(一八〇四)二月二十四日、臨時七社奉幣伊勢使の使王代
『禁裏執次詰所日記』享和四年二月十三日癸酉
一、議奏衆より御附衆御達書面被爲見如左。
   七社奉幣使
  伊勢中臣藤波~祇權大副 王代川越兵庫助 齋部眞繼能登守
  ・・・・・・
 右之通御内意被仰出。
『禁裏執次詰所日記』享和四年二月廿四日甲申
一、今日七社奉幣發遣。
  ・・・・・
一、今日諸社奉幣使各里亭より~祇官代參向。御式相濟候上、發遣有之。如左。
   (【傍】伊勢)中臣藤波~祇權大副   王代川越兵庫助   齋部眞繼能登守
  ・・・・・・
稿本光格天皇實録』一二二八頁 文化元年二月十三日、「七社奉幣使ノ御内意ヲ仰セ出サル、」
稿本光格天皇實録』一二三〇〜一二三一頁 文化元年二月二十四日、「改元奉告ノ爲、伊勢~宮、石C水、賀茂、松尾、平野、稻荷、春日等ノ七社ニ奉幣發遣ノ儀アリ、出御アラセラル、是日、春日祭ヲ行ハル、」
文化十年(一八一三)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 K61-46 平田家日次記 文化十年九月十一日甲戌
少外記平田家記録 K61-46 平田家日次記 文化十年九月十二日乙亥
文化十一年(一八一四)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 K61-47 平田家日次記 文化十一年九月十一日(宣命寫)
文化十三年(一八一六)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 K61-50 平田家日次記 文化十三年八月二十日丁酉
少外記平田家記録 K61-50 平田家日次記 文化十三年九月十一日丁巳(宣命使々位署
少外記平田家記録 D1-30 文化十三年九月例幣參仕交名
河越家記録『例幣使參向記』文化十三年九月十一日
使王 従五位上定賀王
文化十四年(一八一七)八月二十一日、御即位由奉幣伊勢使の使王代
宮内廳書陵部所藏 F10-416『光格天皇御即位並御讓位記』
少外記平田家記録 A113 所收 文化十四年八月二十一日「即位由奉幣發遣散状寫諸司交名寫」
文政元年(一八一八)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 512 210『例幣一會』(一括 百四十三葉)(文政 天保)
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 宣命寫・使々交名
少外記平田家記録 D43 中原職平『九月 例幣發遣 愚記』 文政元年九月十一日丙午
少外記平田家記録 K61-51 日次記 文化十五年九月十一日丙午 (散状寫・宣命寫
文政元年(一八一八)十一月八日、仁孝天皇大嘗會由奉幣の使王代
少外記平田家記録 D15 『十一月八日 由奉幣文章類』 文政元年十一月八日 伊勢宣命寫
『禁裏執次詰所日記』文化十五年十一月五日己亥
一、由奉幣使。
 伊勢 (中臣)藤波三位 (王代)川越兵庫頭 (齋部)眞繼美濃守
 ・・・・・
『禁裏執次詰所日記』文化十五年十一月八日壬寅
一、大嘗會由奉幣也。
・・・・・
稿本仁孝天皇實録』二五〇〜二五一頁 文政元年十一月五日、「大嘗會由奉幣使定アリ、」
稿本仁孝天皇實録』二五一〜二五二頁 文政元年十一月八日、「大嘗會由奉幣使ヲ發遣セシメラル、」
文政二年(一八一九)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 使々交名
文政四年(一八二一)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 宣命使々位署
少外記平田家記録 K61-55 『文政四年日録』 九月十一日戊午 (宣命使々位署)
文政五年(一八二二)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』
少外記平田家記録 K61-56 『文政五年公事録』 九月十一日壬午 (宣命使々位署)
文政六年(一八二三)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』
文政七年(一八二四)九月十一日、伊勢例幣の使王代
外記局本 563 63『例幣一會』九(一括 五十四葉)(年號混交)
文政七
例幣使々

王  正五位下定賀
中臣 正三位光忠卿
齋部 正五位下康寧


文政七
例幣
  使王
  正五位下定賀王

少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 使々交名
文政八年(一八二五)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 宣命使々位署・使々交名
文政九年(一八二六)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 宣命使々位署・使々交名
文政十年(一八二七)九月十一日、伊勢例幣の使王代
少外記平田家記録 D14 中原職平『九月 例幣 宣命・散状・諸司交名 留』 宣命使々位署・使々交名
 
河越兵庫頭定賢の子女】
源朝臣道賢[河越兵庫助](道宗王」の作名で伊勢使王代を勤仕


 
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更新日時: 2021.09.12.
公開日時: 2009.01.30.


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