宗通王


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[宗通]

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宗通王
 伊勢奉幣の使王代
 
【本名】
 源朝臣兼宗のち源朝臣賢通[河越]
 源兼宗のち賢通は、源朝臣賢兼[河越](
賀通王」の作名で伊勢使王代を勤仕)の四男にして、源朝臣ヘ賢[河越](兼ヘ王」の作名で伊勢使王代を勤仕)の養子。
 
【經歴】
安永五年(一七七六)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『紀光卿記』安永五年九月十一日己卯
・・・・・ 今日發向使々(卜部近日不及參向)。
 中臣  祭主三位(季忠)
 王   從五位下宗通王
 齋部  從五位下量弘
・・・・・
宣命案後日尋取續之(縹紙。少内記職壽草之)。
 ・・・・・ 九月~嘗御幣、王從五位下宗通王、中臣正三位行~祇大副大中臣朝臣季忠等差使、忌部從五位下齋部宿禰量弘弱肩太手繦取懸 ・・・・・
  安永五年九月十一日
安永七年(一七七八)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『紀光卿記』安永七年九月十一日丁酉
例幣。上卿三條大納言(實起)、辨權左少[辨]兼貫朝臣參行~祇官代。中臣使從二位季忠卿。忌部使從五位下量弘。王使從五位下宗通王(本名兼宗也)。奉行篤長朝臣。
安永八年(一七七九)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『紀光卿記』安永八年九月十一日壬辰
例幣。上卿今出川大納言(實種)、辨右中[辨]ョ煕、奉行頭中將忠尹朝臣也。依御不豫、無御拜出御云々。使中臣祭主寛忠朝臣、齋部從五位下忌部量弘、王從五位下宗通王(兵庫助源兼宗作名也)云々。抑中臣・忌部等使爲~祇官沙汰。伯資顯王今度催之云々。近日~宮傳奏加下知者也。兼日伯二位申請催之。已後可爲此分由關白被命云々。勿論事歟。於使王者、大外記師資朝臣催之者也。
壬391『伊勢兩大~宮例幣一會』55
安永八年(一七七九)十月十五日、臨時伊勢一社奉幣の使王代
『紀光卿記』安永八年十月十五日乙丑
主上【後桃園院】御違例不令減御云々。依此事今日被發遣伊勢一社奉幣使。上卿左大臣(輔平公【鷹司】)。辨左少[辨]俊親。奉行頭辨篤長朝臣。宣命有辭別事云々。
・・・・・
宣命(大内記在煕朝臣艸之。一通也)
天皇詔旨掛畏伊勢度會五十鈴河上下津磐根大宮柱廣敷立高天原千木高知稱辭定奉、天照坐皇太~廣前、恐美毛申賜倍止。當年七月以降玉體聊不豫事御座志弖御藥無驗不復常給。顧眇身、菲コ令耻給止毛、爲天下寶位至重如何加志牟耶。仍凝叡念奉憑靈威給。此状聞食、鎭護不愆志天、應護垂給平癒効驗令得給渡牟、只皇太~厚御恤廣御助可在所念行天奈牟。故是以吉日良辰擇定、王從五位下宗通王、中臣從二位行~祇大副大中臣朝臣季忠等差使、齋部從五位下齋部宿禰量弘弱肩太繦取懸、禮代御幣持齋者利、令捧持、奉出賜。掛畏皇太~、此状聞食、天皇朝廷寶位無動常盤堅磐夜守日守護幸給倍止美毛申給者久度申。
  安永八年十月十五日
今度宣命頗以殊勝歟。~感可量知。
・・・・・
宮内庁書陵部所藏 513 55『伊勢一社奉幣下行方』
明後日十五日 伊勢一社
奉幣発遣日時定卯剋
無遲々可有參集候也
・・・・・
 使王代   兼宗
     作名 宗通
 掃部寮   利之
・・・・・
已上
安永八年十月十三日
・・・・・
 一社奉幣使
王  従五位下宗通王
中臣 従二位季忠卿
齋部 従五位下量弘
右注折紙奉行篤長朝臣
        令進之
于時
 安永八年十月十四日

安永九年(一七八〇)九月十一日、伊勢例幣の使王代
『紀光卿記』安永九年九月十一日丙戌
天リ。例幣也。上卿正親町大納言(公明)。辨左中謙光。奉行頭辨篤長朝臣。四姓使、中臣寛忠朝臣、王從五位下宗通王(兼宗作名)、齋部從五位下量弘。卜部近例不參向、只向~祇官代斗也。交名可尋。
安永九年(一七八〇)十一月二十三日、光格天皇御即位由奉幣伊勢使の使王代
『紀光卿記』安永九年十一月廿三日丁酉
リ。御即位由奉幣發遣也。先上卿參仗座。奏宣命之後、參向~祇官代(吉田齋場所)如例。上卿右大臣(輝良)。辨權左中勝貫朝臣。奉行篤長朝臣。使、中臣大副二位(季忠)、王從五位下宗通王(兵庫助源賢通作名)、忌部從五位下忌部量弘。
宣命(大内記在熈朝臣草之)、後日在熈朝臣注送。
 天皇詔旨掛畏伊勢度會五十鈴河上下津磐根大宮柱廣敷立高天原千木高知稱辭定奉、天照坐皇太~廣前、恐美毛申賜者久止。去年十一月忝以
眇身天之日嗣授賜受賜惠留爾、來十二月四日可即位被告申。依之吉日良辰擇定、王從五位下宗通王、中臣從二位行~祇大副大中臣朝臣季忠等差使、齋部從五位下齋部宿禰量弘弱肩太繦取懸、禮代大幣帛令捧持奉出賜。掛畏皇太~、此状聞食
天皇朝廷寶位無動常磐堅磐夜守日守護幸給比氐、天下泰平萬民豐樂護恤賜倍止、恐美毛申給者久止申。
  安永九年十一月廿三日
・・・・・
安永九年(一七八〇)十二月十八日、光格天皇御元服由奉幣伊勢使の使王代
『紀光卿記』安永九年十二月十八日壬戌
リ。晡時雪降。今日被發遣御元服由奉幣。上卿内大臣(經熈公)着仗座、被奏宣命。其後參向~祇官代(吉田齋場所)、發遣如例。辨右少文房。奉行頭中將忠尹朝臣。使々、
 王 從五位下宗通王 源賢通作名
 中臣正四位下~祇權大副大中臣寛忠
 忌部從五位下忌部量弘
一、宣命大内記在熈朝臣章之。後日朝臣注送案續之。
天皇詔旨掛畏伊勢度會五十鈴河上下津磐根大宮柱廣敷立高天原千木高知稱辭定奉、天照坐皇太~廣前、恐美毛申賜者久止。公卿等議奏、明年天皇御年漸十一歳成賜。冠事世間所重盛禮嘉儀奈利。來春正月吉日良辰元服奉加人望可叶世利。掛畏皇太~廣助、平令遂行給布倍之止所念行、王從五位下宗通王、中臣正四位下行~祇權大副大中臣朝臣寛忠等差使、齋部從五位下忌部宿禰量弘弱肩大繦取懸、禮代御幣令捧持奉出賜。此状聞食、天皇朝廷寶位無動常磐堅磐夜守日守助幸給、食國天下無事無故護惠給倍止、恐美毛申賜者久止申。
  安永九年十二月十八日
一、次第
  御元服由奉幣次第
・・・・・
天明元年(一七八一)九月十一日、例幣の使王代
壬391『伊勢兩大~宮例幣一會』55
天明三年(一七八三)九月十一日、例幣の使王代
少外記平田家記録 J10-27 『天明三 分配日次記』
天明八年(一七八八)九月十一日、例幣の使王代
『平田職厚日記』天明八年九月十一日
 
源朝臣賢通の子女】
 □ 源朝臣定賢[河越](
定賀王」の作名で伊勢使王代を勤仕


 
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更新日時: 2020.03.26.
公開日時: 2007.03.30.


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