朝建王


前頁 「 朝 [朝宏]
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[朝建]

フレームなし

工事中

朝建王 あさたけ
 のち久邇朝建 くに あさたけ
 
【出自】
 
朝融王[久邇宮](のち久邇朝融)の二男。
 
【母】
 知子女王
 朝融王妃
 博恭王[伏見宮]の三女。
 
【經歴】
昭和十五年(一九四〇)五月十一日、生誕。
『官報』第四〇〇二號 昭和十五年五月十三日 月曜日 告示「宮内省告示第九號」
朝融王妃知子女王殿下本日午前十一時五分
東京府東京市澁谷區宮代町一番地久邇宮邸
ニ於テ御分娩王御誕生アラセラル
 昭和十五年五月十一日
        宮内大臣 松平 恒雄
朝建王
昭和十五年(一九四〇)五月十七日、「朝建(アサタケ)」と命名。
『官報』第四〇〇二號 昭和十五年五月十八日 土曜日 告示「宮内省告示第十號」
本月十一日誕生セラレタル朝融王殿下ノ第
二男子名ヲ朝建(【振假名】アサタケ)ト命セラル
 昭和十五年五月十七日
        宮内大臣 松平 恒雄
久邇朝建
昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる
『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十六号
 恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
 昭和二十二年十月十三日
     宮内府長官 松平 慶民
學習院大學を卒業。
日本合成ゴム勤務。
西村櫻子と結婚。
『入江相政日記』昭和四十四年二月十九日(水)
長官【宇佐美毅】來室。東久邇さんのこと、久邇さんのことの話。・・・・・ 皇后さまに拜謁。・・・・・ 久邇朝建さんの御縁談についての事。
グランビュー勤務。
 
【配偶】
 久邇櫻子 くに さくらこ
 西村俊一(サクラクレパス會長)の一女。
 
【子女】
 
【文獻等】
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 三七頁


 
次頁 「 朝 [朝憲]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 て 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


公開日時: 2014.10.13.

Copyright: Ahmadjan 2014.10 - All rights reserved.