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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[醍醐@]

フレームなし


醍醐宮
 
 類從本・吹上本『本朝皇胤紹運録』等に見える。
 『一代要記』に見える、「國尊王」の子「
大豐王」と同一人であろう。
 
【出自】
 「交野宮」の子。
 高倉院の曾孫。惟明親王の孫。
吹上本『本朝皇胤紹運録』(C水正健『皇族考證』第肆巻 百八十七〜百八十八頁所引
交野宮 ──┬ 醍醐宮 ───┬ 高桑宮
      └ 栗野宮    ├ 尼ア宮
              └ 万壽宮
類從本『本朝皇胤紹運録』
交野宮 ──┬ 醍醐宮 ───┬ 高桑宮
      └ 栗野宮    ├ 尾ア宮
              └ 万壽
山田本・楓山本・岩倉本・平松本・刻本『本朝皇胤紹運録』、吹上本『帝皇系圖』、前田本『帝王系圖』には不見。
 
【經歴】
美濃國高桑庄に居住。
三千院所藏『帝王系圖』(赤坂恒明「〓【晶灬】王考 ── 建武期前後の傍流皇族をめぐって ──」698頁所引









号鳥羽三宮 
惟明親王 ───
出家法名聖円

交野宮 ───

山 法印
尊雲


聖海 法印
    醍醐座主
  住美濃國高桑庄
醍醐宮 ────


住同國栗野庄
栗野宮

高桑宮

尾ア宮

万壽宮
 
【美濃國高桑荘について】
美濃國高桑庄の存在は、他の文獻からは確認することができない。
しかし、嘉祿二年(一二二六)七月、美濃國の高桑次郎と稱す者が六波羅の武士に捕えられ、拷問を加えられ、「謀反」の事を承伏したことが、『明月記』嘉祿二年七月廿二日乙亥條、同八月三日條に記されており、當時、美濃國に高桑を苗字とする者が存在したことが知られる。
『明月記』嘉祿二年七月廿二日乙亥
天リ。・・・・・ 午時許、法印被來臨。多圧廳御下文只今到來云々。可謂理運。世間有謀反者出來之聞、武士等一兩搦取。雖拷問全不承伏、不指同類。黨類三百人成其謀之由風聞云々(又云、於一切經谷、武士所取無表書書状三十二【「三十二」大日本史料「卅二」】通、事體露顯、京中八十人【「人」大日本史料ナシ】同心云々)。
『明月記』嘉祿二年八月三日
午時刻僧正被來。扶起相謁。相次心寂坊來談。日來風聞事委談之。美濃國高桑次カと稱者、搦取在六波羅。謀反事承伏、不指同類。又覺心房と云者(柳禪師之子云々)爲京中之張本。在一切經谷、其身逐電。件者從者大夫房搦得。卅三通之書状(有表書)入武士手。當時内々沙汰、武州六波羅四方堀堀池(口一丈五尺、深一丈云々)、諸國七道徒黨充滿之由披露云々。
『大日本史料』第五編之三、三〇九〜三一〇頁、嘉祿三年七月是月「京中謀叛者アリト風聞スルニ依リ、六波羅、美濃人高桑次カ(名闕ク)覺心房等ヲ逮捕ス、」
高桑は美濃國厚見郡のうちにあり、高桑次郎は、この高桑を苗字の地とした人物であると考えられている。
『角川日本地名大辞典21 岐阜県』(角川書店、昭和五十五年(一九八〇)九月)、*頁b「たかくわ 高桑 〈柳津町〉」
長良(ながら)川の支流境川の右岸に位置する。
〔中世〕高桑 南北朝期から見える地名。美濃国のうち。建武3年6月日の本間有佐軍忠状に「今年正月八日, 於足近・小熊・高桑河等, 致合戦軍忠」とあるのが初見(本間文書/神奈川県史資料編)。一方「明月記」嘉禄2年8月3日条に「美濃国高桑次郎と称者」が六波羅探題に謀叛人として捕えられた記事が見える。・・・・・
『日本歴史地名大系 第二一巻 岐阜県の地名』(平凡社、一九八九年七月)、331頁中、羽島郡笠松町「高桑村たかくわむら (現)柳津町高桑
 佐波さ ば村の西、さかい川北岸に位置する厚見あつ み郡の村。西は大江おお え川で限られる。「明月記」嘉禄二年(一二二六)八月三日条に美濃国高桑次郎と称する者が謀反人として六波羅に搦め取られた記事が載るが、当地を本貫とした人物であろう。建武三年(一三三六)六月日の本間有佐軍忠状(本間文書)によれば、有佐は同年一月八日、足利方の吉良貞経に属して足近あ ぢか小熊お ぐまや高桑河原などで戦っている。・・・・・
從って、「醍醐宮」が住んだという「美濃國高桑庄」も美濃國厚見郡に位置していたと考えられ、三千院所藏『帝王系圖』の記載は、高桑という地名の初見となる。
現在、高桑の東隣に「領毛」という字(アザ)があるが、これは高桑荘の領家を意味するものであろう。
「醍醐宮」の子「高桑宮」の稱號は、美濃國高桑荘と關係があると考えられる。
『大日本史料』第六編之一(三〜四頁)所引 三十一册本『一代要記』十六に、「醍醐宮」の從父である尊雲[醍醐寺]の稱號の如く見える「高桑」も、美濃國高桑荘と關係があるか。
 
【子女】
 □「
高桑宮
 □「尾崎宮
 □「萬壽」「萬壽宮
 
【文獻等】
赤坂恒明「〓【晶灬】王考 ── 建武期前後の傍流皇族をめぐって ──」(阿部猛編『中世政治史の研究』(日本史史料研究会論文集1)(狭山、日本史史料研究会 企画部 発行、二〇一〇年九月)、693〜716頁)、698〜700頁


 
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更新日時: 2011.01.03.
公開日時: 2008.12.29.


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