掃守王
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諸臣と結婚した女子 乙訓女王が六世女王であるとすれば、掃守王は五世王となる。しかし、男子 小月王は皇親籍にあり、當時は五世王までが皇親であったことから、小月王が五世王であるとすれば、掃守王は四世王となる。但し、小月王が「五世王嫡子」として皇親籍にあったとすれば、掃守王は五世王で問題ないということとなる。 |
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天平勝寶九歳(七五七)五月二十日、無位から從五位下に敍される。
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天平寶字八年(七六四)正月二十一日、典藥頭に任じられる。
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大炊頭に任じられる。 | |||||
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~護景雲三年(七六九)二月十六日、奉~服伊勢使を勤仕。時に大炊頭從五位下。
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寶龜元年(七七〇)十月一日、光仁天皇即位敍位にて從五位下より従五位上に敍される。
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寶龜元年(七七〇)十月二十三日、大炊頭に任じられる。
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寶龜元年(七七〇)十二月二十八日、大藏大輔に任じられる。
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寶龜三年(七七二)二月二十二日、賜姓されて信濃國に流されていた男子、小月王が皇籍を恢復する。
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寶龜三年(七七二)十一月九日、宮内大輔に任じられる。
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寶龜四年(七七三)正月四日、從五位上から正五位下に昇敍。
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寶龜五年(七七四)三月五日、攝津大夫となる。
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寶龜七年(七七六)正月七日、正五位下から正五位上に昇敍。
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寶龜九年(七七八)八月二十二日、正五位上から從四位下に昇敍。
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今江広道「八世紀における女王と臣下との婚姻に関する覚書」(『坂本太郎博士頌寿記念 日本史学論集』上巻(國學院大學文学部史学科編。吉川弘文館、一九八三年十二月)所収)二八〇〜二八一頁「三 実例A 乙訓女王」 |
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