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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[乙訓A]
 
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○ 乙訓女王 オトクニ
 藤原朝臣藏下麻呂の室。藤原朝臣綱繼の母。
 
【出自】
掃守王の女子。
『尊卑分脉』宇合卿孫、「蔵下麿」の子「繩継」
母從四上掃部守王【ママ】女乙訓女王。
『公卿補任』天長二年 參議「從四位上 藤綱繼(六十三)」
參議正三位藏下麿五男。母從四位上掃守王女(乙訓女王)。
六世王であると推定されている。
今江広道「八世紀における女王と臣下との婚姻に関する覚書」、二八〇〜二八一頁
 
【經歴】
藤原朝臣藏下麻呂の室となる。
天平寳字七年(七六三)、藤原朝臣綱繼を生む。
『公卿補任』天長二年 參議「從四位上 藤綱繼(六十三)」
天平寳字七年生。
 
【配偶】
藤原朝臣藏下麻呂
藤原朝臣宇合(馬養)の九男。
寳龜六年(七七五)七月一日薨逝。
『續日本紀』寳龜六年七月壬辰朔
參議大宰帥從三位勲二等藤原朝臣藏下麻呂薨。平城朝參議正三位式部卿大宰帥馬養之第九子也。・・・・・
 
【子女】
藤原朝臣綱繼
藤原朝臣藏下麻呂の五男。
天平寳字七年(七六三)生。
天長二年(八二五)七月一日、參議となる。
『公卿補任』天長二年 參議「從四位上 藤綱繼(六十三)」
七月一日任。
承和十四年(八四七)七月二十四日または二十六日、薨逝。八十五歳。
『續日本後紀』承和十四年七月【廿六日】
致仕參議正三位藤原朝臣綱繼薨。綱繼者參議正三位勲二等式部卿兼大宰帥宇合之孫。參議從三位勲二等大宰帥藏下麿之第五子也。・・・・・ 年八十五而終。
『公卿補任』承和十四年 前參議「正三位×藤綱繼(八十五)」
七月廿四日薨。贈正二位(頭勞二年。參木四年。前官廿年)。
 
【文獻等】
今江広道「八世紀における女王と臣下との婚姻に関する覚書」(『坂本太郎博士頌寿記念 日本史学論集』上巻(國學院大學文学部史学科編。吉川弘文館、一九八三年十二月)所収)、二八〇〜二八一頁「三 実例A 乙訓女王」


 
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公開日時: 2004.02.14.

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