源顕方 / 顕方王
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村手重雄氏舊藏後村上天皇宸翰の供養經遺札に「顯かた」と見える。『村田正志著作集』第一巻、二〇二頁
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『尊卑分脈』「寛和 華山」、資繼王の子
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[敍爵] | ||||||
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康永三年(一三四四)正月五日、正五位下に敍される。
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貞和三年(一三四七)正月一日の正月節會に右次將として參仕。
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左近衞權中將となる。 | ||||||
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正平の一統に際し、正平六年(一三五一)十二月二十三日、後村上天皇のために北朝の三種の~器を内侍所から回收する渡御の儀における次將を勤仕すべきところ、母の服假にあたり、顯方に代わって一門の[源]康C(少將入道源惠の子)が勤仕した。
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從四位下に敍される。 | ||||||
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位階が從四位下の時に、南朝に參仕。北朝では除籍されなかったが、昇敍はなく、從四位下に据え置かれ、應安四年(一三七一)正月の時點で、北朝では從四位下の臈次筆頭となっていた。
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南朝において正平十六年(一三六一)十月七日までに右兵衞督に任じられる。
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南朝において~祇伯となったとされる。
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永コ三年(一三八三)十二月十五日より以前に卒去。
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資方王 【資繼王の子となる】 |
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曾根研三編著『伯家記録考』(西宮神社社務所、昭和八年(一九三三)十月) |
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曾根研三「改訂伯家家譜」五七〇頁(曾根研三『伯家記録考』附録) |
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曾根研三「増補訂正伯家系譜」五三五頁(曾根研三『伯家記録考』附録) |
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久保田収「伯家の成立と分流」(『皇学館大学紀要』第十三輯、昭和五十年(一九七五)一月、170〜193頁) |
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