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昭和十七年(一九四二)八月五日、誕生。
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『官報』第四六七二號 昭和十七年八月六日 告示
○宮内省告示第十六號
恒憲王妃敏子殿下本日午前八時十五分東
京府東京市麹町區三番町二番地ノ五賀陽宮
邸ニ於テ御分娩王御誕生アラセラル
昭和十七年八月五日
宮内大臣 松平 恒雄
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健憲王
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昭和十七年(一九四二)八月十一日、「健憲(タケノリ)」と命名される。
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『官報』第四六七七號 昭和十七年八月十二日 告示
○宮内省告示第十七號
本月五日誕生セラレタル恒憲王殿下ノ第六
男子名ヲ健憲ト命セラル
昭和十七年八月十一日
宮内大臣 松平 恒雄
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賀陽健憲
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昭和二十二年(一九四七)十月十四日、皇室典範第十三條の規定により、皇族の身分を離れる。
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『官報』第6226号 昭和22年10月14日 告示
○宮内府告示第十六号
恒憲王妃敏子、邦壽王、治憲王、章
憲王、文憲王、宗憲王、健憲王、邦昭
王、朝建王、朝宏王、朝子女王、通子
女王、英子女王、典子女王、守正王妃
伊都子、孚彦王、孚彦王妃千賀子、誠
彦王、冨久子女王、美乃子女王、稔彦
王妃聰子内親王、盛厚王、盛厚王妃成子
内親王、信彦王、文子女王、俊彦王、
恒コ王妃光子、恆正王、恆治王、素子
女王、紀子女王及び春仁王妃直子各殿
下は、皇室典範第十三條の規定によ
り、昭和二十二年十月十四日皇族の身
分を離れられる。
昭和二十二年十月十三日
宮内府長官 松平 慶民
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學習院大學卒業。
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日本交通公社に就職。
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平成二十九年(二〇一七)七月二十日、死去。
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