絢子女王 / 竹内絢子


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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[絢子①]

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絢子女王 あやこ
 
もと晴宮」 はるのみや
晴子女王 はるこ
のち 竹内絢子 たけのうち あやこ
 
【出自】
 
朝彦親王[久邇宮]の五女。
 
【生母】
 泉亭静枝(静枝子)
 家女房
 邦憲王等の母。
 
【經歴】
明治五年(一八七二)四月二十五日生。
『朝彦親王日記』明治五年五月朔日
曇。日食。
一、去月廿五日妾靜分身女子出生之旨申越事。
改訂伏見宮系譜 』(宮内公文書館 32748

女 子 「絢子」
 母同上【家女房(泉亭氏)
 明治五年四月廿五日誕生 号晴(ハル)宮○○

「晴宮」
明治五年(一八七二)五月二日、「晴(ハル)」と命名。
『朝彦親王日記』明治五年五月二日
一、去月出生之女子ニ晴(ハル)ト名賜候事。
晴子女王
絢子女王
明治二十一年(一八八八)十二月十八日、「絢子」と改名。
内閣記録局編『法規分類大全』第七十五巻 宮廷門 儀制門 族爵門、二七頁
 官報抄録 二十一年十二月十九日
久邇宮ノ晴子女王殿下ハアヤ子ト改名願出テラレ昨十八日聞食屆ケヲレタリ
竹内絢子
明治二十五年(一八九二)十二月二十六日、竹内惟忠に降嫁
『官報』第二八五一號 明治二十五年十二月二十七日 告示 宮内省告示第十四號
昭和二十一年(一九四六)七月二十六日、死去。
 
【配偶】
 竹内惟忠 たけのうち これただ
 子爵。貴族院議員。國學者。號「銀臺」
 竹内治則(たけのうち はるのり)の一男。
 安政五年(一八五八)十一月一日生。
 明治二十一年(一八八八)九月二十八日、子爵の爵位を承襲。
 明治四十年(一九〇七)十二月二十六日、死去。
 
【子女】
 竹内惟治 たけのうち これはる
 竹内惟忠の一男。
 明治三十年(一八九七)十一月二十七日生。
 明治四十一年(一九〇八)一月十五日、子爵の爵位を承襲。
 大正十年(一九二一)六月十三日、死去。
 
 竹内惟斌 たけのうち これあきら
 竹内惟忠の二男。
 陸軍騎兵少佐
 明治三十三年(一九〇〇)九月十五日生。
 大正十年(一九二一)七月十一日、兄(惟治)の沒後、子爵の爵位を承襲。
 昭和十九年(一九四四)六月八日、死去。
 ※ 名古屋大学大学院法学研究科 『人事興信録』データベース
   竹内惟斌 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)
   https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who8-13595
 
 竹内千代子 のち長谷川千代子
 竹内惟忠の一女。
 明治三十七年(一九〇四)四月十三日生。
 長谷川久四郎(長谷川武右衛門家第八代。長谷川商店取締役)の夫人。
 ※ 小津和紙
   小津史料館 / Ozu History Museum: 長谷川次郎兵衛歴代
   http://ozuwashi.blogspot.com/2020/07/blog-post_11.html
 昭和五十三年(一九七八)八月十四日、死去。
 
【文獻等】
『系圖綜覽』所收『皇室系譜』「久邇宮」 一〇二頁
平成新修 旧華族家系大成 下巻』 三七~三八頁



 
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公開日時: 2021.10.12.

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