絢子女王


前頁 「 絢 [絢子@] 」
『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[絢子A]

フレームなし

工事中

絢子女王 あやこ
 
 のち守谷絢子 もりや あやこ
 
【出自】
 
憲仁親王[高円宮]の三女。
 崇仁親王[三笠宮]の孫。
 大正天皇の曾孫。
 
【母】
 久子 ひさこ
 憲仁親王妃
 
【經歴】
平成二年(一九九〇)九月十五日生。
絢子女王
平成二年(一九九〇)九月二十一日、命名。
平成六年(一九九四)四月十日、松濤幼稚園に入園。
平成九年(一九九七)四月十日、學習院初等科に入學。
平成十五年(二〇〇三)四月九日、學習院女子中等科に入學。
平成十八年(二〇〇六)三月二十二日、學習院女子中等科を卒業。
平成十八年(二〇〇六)四月、學習院女子高等科に入學。
平成二十一年(二〇〇九)三月二十二日、學習院女子高等科を卒業。
平成二十一年(二〇〇九)四月二日、千葉県東金市の城西国際大学 福祉総合学部に入學。
平成二十五年(二〇一三)三月十五日、城西国際大学 福祉総合学部を卒業。
平成二十五年(二〇一三)四月二日、城西国際大学大学院に入學。
平成二十五年(二〇一三)九月一日、カナダのカモーソン カレッジ(Camosun College)に留學(城西国際大学大学院在學)。
平成二十七年(二〇一五)五月、ブリティッシュ・コロンビア大学(University of British Columbia)に轉學(城西国際大学大学院在學)。
平成二十七年(二〇一五)八月十日、カナダより歸國。
平成二十八年(二〇一六)三月十六日、城西国際大学大学院 福祉総合学研究科を修了、修士の学位を取得。
平成二十九年(二〇一七)六月一日、城西国際大学福祉総合学部研究員となる。令和元年(二〇一九)まで。
平成三十年(二〇一八)一月十六日、日加協会 名譽總裁(Honorary Patron of the Canada-Japan Society)となる。
(公社)日本海洋少年団連盟 名譽副總裁
平成三十年(二〇一八)七月二日、日本郵船社員の守谷(もりや)慧(けい)との婚約が内定。
平成三十年(二〇一八)八月十二日、納采の儀が行われる。
平成三十年(二〇一八)九月十九日、告期の儀が行われる。
平成三十年(二〇一八)十月二十六日、參内、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、および、朝見の儀が行われる。
守谷絢子
平成三十年(二〇一八)十月二十九日、守谷慧と結婚。皇族の身分を離れる。
『官報』第7377号 平成30年10月29日 告示
○宮内庁告示第十号
 絢子女王殿下は、平成三十年十月二十九日、守谷慧と結婚のため、皇室典範第十二条の規定により、
皇族の身分を離れられる。
  平成三十年十月二十九日                    宮内庁長官 山本信一郎
令和元年(二〇一九)十一月十七日、男兒を出産。
 
【お印】
 葛(くず)
 
【文獻等】
平成新修 旧華族家系大成 上巻』 二二頁


 
次頁 「 憲 [憲子@]
『 親王 ・ 諸王略傳 』 目次 「 け 」  『 親王 ・ 諸王略傳 』 の冒頭
『 日本の親王 ・ 諸王 』 の目次


更新日時: 2021.10.17.
公開日時: 2021.10.13.


Copyright: Ahmadjan 2021.10 - All rights reserved.