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『 親 王 ・ 諸 王 略 傳 』
  
[兼善]
 
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兼善王
 のち源朝臣兼善
 
【出自】
 時康親王(のちの光孝天皇)の男子。
 仁明天皇二世王(のち承和二世源氏)
 
【經歴】
兼善王
貞觀十一年(八六九)正月七日、無位より從四位下に敍される。
『日本三代實録』貞觀十一年正月七日乙丑
授无位兼善王從四位下。
貞觀十二年(八七〇)正月二十五日、侍從に任じられる。
『日本三代實録』貞觀十二年正月廿五日戊寅
[以]散位從四位下源朝臣【ママ】兼善爲侍從。
源朝臣兼善
貞觀十二年(八七〇)二月十四日、承和二世源氏として源朝臣を賜姓される。時に侍從從四位下。
『日本三代實録』貞觀十二年二月十四日丙申
散位從四位下元長王、侍從從四位下兼善王、无位名實王・篤行王・最善王・近善王・音恒王・是恒王・舊鑒王・貞恒王・成蔭王・C實王・是忠王・是貞王十四人、賜姓源朝臣。・・・・・
『皇代記』「光孝天皇」賜姓
源元長(從四上) 近善(從三位) 兼善(從四上、侍從) 名實 舊鑒(左京大夫、正四下、大藏卿) 篤行 最善 音恒 是恒(從四上) 貞恒(大納言、正三位) 成蔭 C實(賜姓滋水朝臣)
 已上十二人、貞觀十二年二月賜姓
『帝王編年記』十四「第五十八代光孝天皇」皇子賜姓
源朝臣元長 ・・・・・ 兼善(侍從、從四位上)・・・・・
從四位上に敍される。
元慶三年(八七九)四月二十五日、卒去。
『日本三代實録』元慶三年四月廿五日甲申
從四位上行侍從源朝臣兼善卒。兼善者光孝天皇之子也。天皇龍濳之日、賜姓源朝臣焉。
『一代要記』丙集「第五十八代光孝天皇」皇子
兼善(從四位上、侍從。元慶三年四月薨【ママ】)
『尊卑分脈』仁和、光孝天皇の子
侍從 從五【ママ】位
兼善

  元慶三四ー卒。
 
【文獻等】
清水正健『皇族考證』第參巻、百三頁・百十一頁・百十四頁・百十五頁
『光孝天皇實録』一五九頁〜一六〇頁「皇子兼善王」


 
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公開日時: 2008.08.12.

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